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ドラマ『それでも、生きてゆく』にみる、性善説と性悪説。

以前、ハマっているとお話したドラマ『それでも、生きてゆく』の最終回を観ました。
このドラマは以前もお話したように(参照:ドラマ『それでも、生きてゆく』に思い出す、14年前のあの事件。)、14歳の少年が15年前に起こした少女殺害事件を軸に、その被害者家族加害者家族の苦悩を描いた物語で、フィクションと謳ってはいますが、明らかに、1997年に日本中を震撼させた、あの神戸連続児童殺傷事件、いわゆる“酒鬼薔薇聖斗事件”を下敷きにしていると見ていいのでしょう。
それだけに、どのような結末を用意しているのか、大変興味深いところでした。
いくらフィクションとはいえ、現実にあった事件とラップした設定である以上、軽率な落とし所は許されないでしょうから。

で、最終回を観終えての感想は、まあ、あのようにしか描きようがないでしょうね。
結局、何も解決していないような中途半端な状況のままで、溜飲を下げるような結末には至りませんでしたが、そもそも物語のテーマ自体があまりにも重く、そう簡単に着地点など見つかるものではないでしょう。
酒鬼薔薇聖斗を彷彿させる元少年Aの三崎文哉(風間俊介)に、変に同情してしまうような描き方はあってはならないと思いますし、被害者の兄・深見洋貴(瑛太)と加害者の妹・遠山双葉(満島ひかり)が結ばれてハッピーエンドというのも、設定上あり得ないでしょう。
被害者の母の長年の悲しみが、そう簡単に癒えるものでもないでしょうし、加害者の父の苦悩や葛藤が、そう簡単に終わるものでもありません。
つまりは、元少年Aが犯した罪はあまりにも重く、それは被害者家族にとっても加害者家族にとっても一生忘れられるものではなく、その心の傷を死ぬまで抱えながら、『それでも、生きてゆく』んですよね。
だから、最終回はあのようにしか描きようがないと・・・。
ただ、このような難しいテーマに挑んだ制作者の意気込みには、拍手を贈りたいと思います。

私がこのドラマを観てあらためて考えさせられたのは、「性善説」「性悪説」についてです。
人はなぜ罪を犯すのか・・・。
罪を犯した人は悪なのか・・・。
孟子が提唱した「性善説」の立場を取れば、「人間はもともと善なる者として生まれながら、後天的に悪を学習する」ことになり、荀子が提唱した「性悪説」の立場に立脚すれば、「人間はもともと悪なる者として生まれながら、後天的に善を学習する」ことになります。
どちらの説にせよ、人間には善悪両方が備わっており、環境によってどちらにも傾倒するということに変わりはないのでしょうが、子供の教育を考える場合、「性善説」の立場を取るか、「性悪説」の立場を取るかは大問題で、たとえば罪を犯した子供がいた場合、その罪をどう理解するか、それに対して大人はどう対処すべきか、結論が正反対になります。
ドラマや映画などでは、どちらかと言えば「性善説」で描かれる物語が多く、この度のこのドラマも、三崎文哉の心が壊れたのは、目の前で母親が飛び降り自殺をした幼児体験によるもので、いわゆる「性善説」でしたね。
「生まれたときは、何も知らない、可愛い赤ちゃんだったんだ・・・。」と、時任三郎さん演じる加害者の父親が涙を流していましたが、誰しも、生まれたばかりの赤ちゃんを見て“悪”だと思う人はいないでしょう。
日本の少年法も、おそらく「性善説」をベースに作られたものだと思えますし、私も、理想的には「性善説」の立場を信じたいと思っているひとりではあります。
ですが、現実には、人間に欲がある以上、「性悪説」の方が納得いくことが多いのも事実です。
人は、善行をはたらく場合、意識的に行わなければできないような気がしますが、悪行をはたらく場合、本能に任せて無意識に行うものなんじゃないかと・・・。
中国の仏教思想の中では、孟子の「性善説」と荀子の「性悪説」は真っ向から対立して結論は出ていません。
はたして、どちらが正しいのでしょうね・・・。

「性善」「性悪」とは別に、「性癖」というものもありますよね。
これもまた、生まれ持った先天的な性質のことで、善でも悪でもなく、変えようのない「癖」です。
私は、酒鬼薔薇聖斗の両親が書いた手記を読んだとき、これは明らかに「性癖」に起因する犯罪だと思いました。
つまりは、人を殺すことを嗜好とする「性癖」を持って生まれてきた奴なんだと・・・。
なんとも異常で恐ろしい「性癖」ですが、でも、普通の人とは異なる少数派の「性癖」という意味でいえば、同性愛者のそれと何が違うのかなと・・・。
同性愛は合法で、殺人は違法、違いといえばそれだけで、その法律というものも人間が作ったものですし、「この世で最も尊いものは人間の命」という倫理も、近代になって人間が作った比較的新しい道徳なわけで・・・。

ちょっと過激な発言になってしまいましたが、別に殺人を容認しているわけではありません。
何が言いたいかというと、人間には生まれ持った変えようのない「性癖」というものがあり、なかには人間社会の倫理に反した「性癖」の持ち主がいて、そんな人間が現代社会に生きていく以上、その「性癖」を抑えられるほどの「理性」を養うしかなく、そう考えれば、やはり人間の本質は「性悪説」なのかもしれません。
酒鬼薔薇聖斗などは、現代に生まれてくるべき人間ではなかったのかもしれませんね。
『それでも、生きてゆく』のは、彼のような人間にとっては苦しいだけなのではないでしょうか。

そんなことを、あらためて考えさせられたドラマでした。


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by sakanoueno-kumo | 2011-09-16 17:57 | その他ドラマ | Trackback | Comments(0)  

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