天下布武の象徴、安土城攻城記。 その3 <伝羽柴秀吉邸跡>
「その2」の続きです。
伝前田利家邸跡から大手道を挟んで向かい側(西側)に、ひときわ大きな郭跡があります。
その入口には、「伝羽柴秀吉邸址」と刻まれた石碑が。
ここは織田信長の家臣時代の羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)の屋敷があったとされる郭です。
ただ、伝前田利家邸跡と同じく、これは安土城廃城後100年ほど経った貞享年間(1684~88年)に描かれた絵図に記されたもので、信憑性はありません。
あくまで「伝」です。
虎口は食違い形状になっており、石段があります。
往時はここに壮大な櫓門が建っていたと考えられています。
眼の前に見事な石垣群がそびえます。
大手道に面したこの屋敷は、上下2段に分かれた郭で構成されています。
ここはその下の段。
この下段郭には、馬6頭を飼うことのできる厩が建っていたと考えられています。
下段郭には厩が1棟あるだけで、それ以外は広場となっていたようです。
その説明板です。
それにしても見事な石垣群です。
いろんな角度から見てみましょう。
石垣裾に設けられた幅2m程の石段は、上段郭の裏手に通じています。
石垣の城壁には武者走りがあります。
伝羽柴秀吉邸跡の上の段に登ってきました。
地面には礎石跡が整然と並んでいます。
上の段にはこの屋敷の主人(伝承では秀吉)が居住する主殿があったとされます。
主殿の手前には式台、遠侍があり、奥に内台所が接続された複雑な構成だったそうです。
その説明板。
建物復元図です。
これはたいそう立派な屋敷ですね。
これだけでも普通なら大名御殿になりそうです。
上の段から見下ろした下の段です。
大手道に面した上の段入口側からのロケーションです。
復元図や平面図によると、入口には高麗門が、その左(写真では石碑の建っている場所)には隅櫓が、写真手前の一段下がったところに台所が、そして向こうの一段上がった説明板のあるところに主殿があったとされています。
上の段入口にも石碑が建てられています。
下の段の石碑は「伝羽柴秀吉邸址」でしたが、上の段の石碑は「伝豊臣秀吉邸址」となっています。
ここに本当に秀吉が住んでいたとするならば、羽柴姓のときでしょうから、「伝羽柴秀吉邸址」でいいんじゃないでしょうか?
ちなみに、安土城が築城された当時、秀吉は長浜城主となっていまし、その後は播磨国、但馬国、因幡国を転戦、本能寺の変当時は中国攻めの真っ最中でしたから、とてもここに居住していたとは思えません。
秀吉自身、安土城には数えるほどしか来たことなかったんじゃないでしょうか?
なんて、無粋なことを言うのはこれぐらいにしておきます。
「その4」に続きます。
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by sakanoueno-kumo | 2020-01-29 14:42 | 滋賀の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)