18歳になった若者は途方にくれていた。集団生活が大の苦手。学校嫌いがひどく成績はどんどん落ちていく。なんとか高校を卒業したけれど、この先どうしたらよいのだろう
▼目の前の世界を眺めて、工作するように言葉という部品をつなぐと、世界のひな型みたいなものができあがる―。その楽しさを原点に70年以上も詩作を続けた
▼<人類は小さな球の上で/眠り起きそして働き/ときどき火星に仲間を欲しがったりする>。透明感ある叙情詩や恋愛詩があれば、やさしい言葉によるユーモラスな詩も。<かっぱかっぱらった/かっぱらっぱかっぱらった/とってちってた>。作風の多様さと作品の多さに驚く
▼90歳を超え、なお新作を発表した。永遠に書き続けるようにみえた大詩人にもお別れのときがきた。晩年の作品「さようなら」を思い出す。<もう私は私に未練がないから/迷わずに私を忘れて/泥に溶けよう空に消えよう/言葉なきものたちの仲間になろう>
やさしくて柔らかい。けれども心のひだに深く入り込む。紡がれた言葉が、どれだけ多くの人生に寄り添ってきたことだろう。
戦後の現代詩を代表する詩人、谷川俊太郎さんが92歳で亡くなった。詩を通して言葉の可能性を広げるとともに、絵本や随筆などで世代を超える共感を得てきた。
熱心な読者ならずとも、教科書やCMで谷川さんの世界に触れた人は少なくないだろう。ネット上に哀悼や感謝のメッセージがあふれる。詩人が残したものの大きさを改めて思い知らされる。
親しみやすく、ユーモアもある半面、地球や人類を宇宙の高みから俯瞰(ふかん)するような作品は、読み手の時空も押し広げていく。
デビュー作の「二十億光年の孤独」は、「人類は小さな球の上で/眠り起きそして働き」で始まる。「朝のリレー」は、「カムチャツカの若者が/きりんの夢を見ているとき/メキシコの娘は/朝もやの中でバスを待っている」と読み手をいざなう。語感で遊びながら、やんわりと差しはさむ文明批判も痛烈だ。
一方で、身体感覚に直接訴えかける「ののはな」などのひらがな詩は、日本語の音の面白さや豊かさを味わわせてくれる。
東日本大震災後には、1971年刊行の詩集に収められた「生きる」が再び広く読まれ、喪失感を抱えた人々の支えになった。詩が持つ力であろう。
「生きているということ/いま生きているということ」というフレーズが繰り返される詩は、日常のかけがえのなさを思い起こさせる。同時に、「かくされた悪を注意深くこばむこと」という言葉には、人間や社会の暗部と対峙(たいじ)する覚悟がにじむ。
「みんながいろいろな言葉で平和を追求したりしているけれども、戦争は全然なくならない」「詩の言葉が何かの役に立たないか」
信じていたのは、世界を対立させるのではなく、包み込む詩の力だ。どんな言葉を生み出していくのか。私たちに託された宿題だ。
知られた言葉遊びがある。<ここではきものをぬげ>。どう解釈したものだろう。ここで脱ぐのは履物の方か。あるいは衣服のボタンに手をかけた方がよいのか。目だけで文字を追いかけると道に迷う。日本語の世界は奥が深い。
▼谷川俊太郎さんは詩想を練る上で耳も大切にした。昭和48年に世に問うた詩集『ことばあそびうた』から。<はなののののはな/はなのななあに/なずななのはな/なもないのばな>(「ののはな」)と、日本語の持つ豊かな音色を教えてくれた。
▼「詩の語と語の間には、散文の意味的なつながりとは違う音楽的なつながりがある」。美しく響き合う言葉の組み合わせに「ポエジー(詩情)」が潜んでいると、かつて小紙に語っていた。あまたの詩に童謡の作詞、翻訳…。戦後の詩壇を代表する谷川さんが亡くなった。92歳。
▼「みみをすます」という詩も忘れ難い。<ひとつのおとに/ひとつのこえに/みみをすますことが/もうひとつのおとに/もうひとつのこえに/みみをふさぐことに/ならないように>。6年前、5歳女児が親の虐待で亡くなる事件があった。その際、小欄はこの一節を引いた。
▼児童相談所の職員は親の言い分のみを聞き入れ、部屋に立ち入ることなく引き下がった。扉の向こうで救いを求める声に、耳をすませていたならば…。詩人の作意はともかく、全文ひらがなの一編が女児の訴えに読めてならなかったのを思い出す。
▼やさしい語り口で紡ぐ詩は、読み手の年代を問わず胸に落ちた。先の言葉遊びも谷川さんなら声に出して読んだらどうか、と笑うのではないか。「ここでは きものをぬげ」と。言葉を衣服で飾ることなく、生まれたままの姿で詩に落とし込む稀有(けう)な人だった。
追悼 谷川さん 詩で問うた「命と世界」(2024年11月20日『東京新聞』-「社説」)
現代日本を代表する詩人の谷川俊太郎さんが亡くなった。10代から92歳の今年まで、平易ながら選び抜いた言葉で「命」と「世界」を問い、詩という分野を超えて活躍した。戦後の現代詩が難解になり、人々の関心が薄れゆく中で、なおも読む者の心を捉える力強い創作を続けた人の逝去を悼む。
谷川さんは10代で詩作を始め、1952年に初詩集「二十億光年の孤独」で注目を集めた。以来、人の心の機微から、生きることの重みや喜び、この世界のあり方までをも映し出す創作を続け、国際的にも高い評価を得てきた。
「本当の事を云(い)おうか/詩人のふりはしてるが/私は詩人ではない」(詩集「旅」から「鳥羽1」)
その活動で特筆したいのは、各地で講演や対談、朗読の会などに参加し、多くの読者と対話をしてきたことだ=写真、2016年、富山県射水市。そこで特に聞き手の耳を奪ったのは、独特の言葉遊び。この詩人の、何よりも大きな魅力だろう。
「かっぱかっぱらった/かっぱらっぱかっぱらった」(絵本「ことばあそびうた」から「かっぱ」)
また、全国の学校の校歌も多く作詞。その歌詞を口ずさんで成長した人は、数知れない。日本には子どもが相手の仕事を低く見なす残念な傾向があるが、谷川さんはそうした態度とは無縁だった。この国のアニメ史に輝く「鉄腕アトム」の主題歌の作詞も、そんな姿勢が生んだ成果の一つだろう。
晩年を迎えて発表した絵本「へいわとせんそう」(19年)では、戦争の愚かしさを幼い子にも分かるやさしい表現で伝えた。まさに得がたい表現者だった。
近年はノーベル文学賞の候補としても名が挙げられた。残念ながら受賞には至らなかったものの、その作品は時代を超えて読まれ、歌い継がれていくであろうし、それこそがこの不世出の詩人に贈られる最高の栄誉だと思いたい。
(2024年11月20日『新潟日報』-「日報抄」)
2015年に制定された十日町市民憲章の一節を引く。〈野に山にヒトは学び 里に町にヒトは勤しむ 縄文の炎を今日に伝えて 雪の白に明日を描き 限りない大空のもと 十日町市の大地に生きる〉。起草したのは、詩人の谷川俊太郎さんだ
▼太古の昔から雪や自然とともに生きてきた人々の営みを、未来につないでいこうという思いが伝わってくる。優しく、それでいて強い思いである。谷川さんの言葉はいつも、こちらの心にするりと入り込んでくる
▼私たちはずっと、その言葉と並走して生きてきたように感じる。詩の授業で「朝のリレー」に出合い〈この地球では いつもどこかで朝がはじまっている〉の一節にうなずいた。谷川さんが翻訳した絵本「スイミー」にわくわくした
▼〈空をこえて ラララ 星のかなた〉。アニメ「鉄腕アトム」の歌詞を口ずさんだ。詩「かっぱ」の〈かっぱかっぱらった〉〈かっぱなっぱかった〉というフレーズに笑いこけ、何度も反すうした
▼〈さよならは仮のことば 思い出よりも記憶よりも深く ぼくらをむすんでいるものがある それを探さなくてもいい信じさえすれば〉(「さよならは仮のことば」)。別れは仮のことなのだろう。あの言葉もこの言葉も、私たちの中で生きている。
詩人・谷川俊太郎さんが地球を去った。92年の滞在だった。
<人類は小さな球の上で/眠り起きそして働き/ときどき火星に仲間を欲しがったりする>「二十億光年の孤独」
谷川さんの詩に触れたのは、いつ、どこでだろうか。国語の教科書、アニメの主題歌、コーヒーのCM、図書館の絵本。中には学校の校歌で歌った人もいるかもしれない。「生きる」は発表から40年後の東日本大震災で、朗読や交流サイト(SNS)を通じて被災者を励ました。
幅広い世代で、優しい詩やユーモアあふれる言葉遊びが心に刻まれているはずだ。ふと思い出し、つい口ずさむ。これほど親しまれた現代詩人は、ほかにいない。
<カムチャッカの若者が/きりんの夢を見ているとき/メキシコの娘は/朝もやの中でバスを待っている>「朝のリレー」
<空をこえてラララ星のかなた>「鉄腕アトム」
詩の視線はアトムのように宇宙から地球を見つめ、人々の内面へ深く優しく迫る。平易な言葉で、生命の素直な感動、愛、エロス、孤独、死も含めタブーなくこの世を自由に紡いだ。
<いるかいるか/いないかいるか>といった日本語の音による遊び、文字の配列による視覚的仕掛けなど、実験的であり続けた。
社会性が強い難解な作品が正統とされた戦後現代詩の中で、谷川さんは異彩を放つ。日本語を柔らかく解きほぐしながら、誰もが身近に感じる詩の扉を開いた。「大衆的」にとどまらない文学史上の評価は、今後も高まるだろう。
京都はゆかりが深い。戦時中、淀に疎開し、京の言葉の抑揚が体に入ったという。詩の韻律への関心につながったのかもしれない。谷川さん作詞の校歌も京で歌い継がれている。
ベトナム戦争中に反戦歌「死んだ男の残したものは」を作り、対立が深まる現代へ絵本「へいわとせんそう」を発表。近年は言葉の氾濫を憂え、研ぎ澄まされた少ない言葉を投げかけた。人を傷つける言葉でなく、谷川さんがくれた生きるための言葉を社会の多様性と個の尊重に生かさねばなるまい。
詩人の三好達治は、谷川さんの第一詩集の序に<この若者は/意外に遠くからやつてきた/(略)/十年よりもさらにながい/一日を彼は旅してきた>と寄せた。
二十億光年かなたの異星から、そろそろ「くしゃみ」する音が聞こえてきそうだ。
ことし出た「かっぱ語録」という不思議な題の本で、谷川俊太郎さんがこんなふうに呼ばれていたことを知った。「現代詩の世界に朝を連れてきた」人である、と
▲等しく地上に訪れ、生きとし生けるものに光を恵む。朝には肯定の響きがある。教科書で読んだ「朝のリレー」を思い出す人もいれば、谷川さんの詞で小室等さんが歌った「お早うの朝」を口ずさむ人がいるかもしれない。♪夢には明日がかくれている/だからお早(はよ)うの朝はくる
▲うまくいかぬ人生と向き合い、顔を上げるための応援歌にも読める。翻訳した漫画「ピーナッツ」では、苦みの利いた人生訓を少年少女が垂れる。そんな作品を届け続けてくれた谷川さんの訃報がきのう届いた。92歳
▲かつて、世界人権宣言の翻訳をアムネスティ日本に頼まれたのも谷川さんだからこそだろう。〈第8条 泣き寝入りはしない〉〈第14条 逃げるのも権利〉といったふうに、子どもでも読み取りやすい日本語に直した
▲きょう、国連「世界子どもの日」。35年前に子どもの権利条約を採択した日でもある。紛争下で命や人権を奪われた子どもは昨年、1日平均31人に上ったと聞く。等しく照らす朝の光が待たれる。
言葉の力(2024年11月20日『高知新聞』-「小社会」)
根源的な問いを投げかける真摯(しんし)な詩に、スター気取りで浮ついていた心が戒められたと自伝にある。この縁で大学の卒論は谷川さんをテーマにした。「心に刺さる歌詞」の頂点にいる中島さんがそうなのだから、谷川作品の高みは推して知るべしだ。
戦後の日本を代表する詩人が旅立った。代表作に「二十億光年の孤独」「朝のリレー」など。独自の視点、型にはまらない詩形やリズムで「言葉の魔術師」とも評された。言葉を仕事とする筆者も何度感服させられたことか。
意外にも、その自由な表現は「情報としての言葉」を疑っていたからと著書で語っている。「言葉は現実を伝えきれない」。だから響きやイメージで「現実の手触り」を表した。詩を作り続けたのは「世界、言葉とたわむれていたいから」。純粋な創作意欲も表現方法を広げた。
整っていても伝わらない言葉があれば、整っていないのに心に響く言葉がある。谷川作品に「言葉の力」を教わる。
谷川さんは1999年の高知こどもの図書館の開館時に詩を寄せてくれていて、館内に飾られている。詩は呼び掛ける。手でさわれない本の中身に〈心でさわるんだ〉と。谷川さんを感じることができる場所が高知にもある。
詩人の言葉(2024年11月20日『熊本日日新聞』-「新生面」)
▼「万有引力とは/ひき合う孤独の力である」-。そんな一節がある『二十億光年の孤独』でデビュー。20歳だった。『生きる』『朝のリレー』など代表作は教科書に掲載され、合唱曲になり、テレビCMに引用された。スヌーピーで知られる漫画の翻訳や「鉄腕アトム」の主題歌なども印象深い
▼熊本でも何度か朗読イベントがあり、谷川さんの言葉の力と飾らない人柄に触れた人も多かったろう。4年前、熊本市現代美術館であった大型個展では詩作ノートや書簡など創作の背景が紹介され、新作詩が発表された
▼数多くの作品で生と死、孤独、愛をテーマとした。言葉への不信感から「真実に迫りたい」という思いが創作の原点だった。「言葉は現実という巨大な氷山の一角に過ぎない。言葉はいつも出発点で、そこから私たちは他者へ、また世界へと向かうのです」
▼『そのあと』という詩がある。「そのあとがある/大切なひとを失ったあと/もうあとはないと思ったあと/すべてが終わったと知ったあとにも/終わらないあとがある」と始まり「そのあとがある/世界に そして/ひとりひとりの心に」と結ばれる
▼谷川さんによる追悼詩を集めた本の冒頭に掲載されている。死の向こう側を見つめ、詩人は「永遠」を発見したのだろうか。
◆〈死んだ男の残したものは/ひとりの妻とひとりの子ども/他には何も残さなかった/墓石ひとつ残さなかった〉。亡くなった誰かが残したものを拾いながら、生きたかったであろう思いをつづる。中でも〈死んだ兵士の残したものは/こわれた銃とゆがんだ地球/他には何も残せなかった/平和ひとつ残せなかった〉のフレーズは、戦争がやまない「今」を突き刺す叫びのよう
◆少年時代に空襲を体験した谷川さんの作品には平和への強い思いがにじむ。「平和」という一編に出てくる〈それは花ではなく花を育てる土〉という詩句はその一つ。平和という花を咲かせるには根っこをはぐくむ土壌が欠かせない。その土壌づくりに必要な一つが「言葉」と思う
◆谷川さんの作品では「生きているということ」を繰り返す「生きる」が有名だが、個人的には「ただ生きる」の方が好きだ。〈支えられてはじめて気づく/一歩の重み 一歩の喜び/支えてくれる手のぬくみ/独りではないと知る安らぎ〉
◆70年以上言葉と向き合い、思いを言語化してきた戦後を代表する詩人が92歳で逝った。残したものは多い。(義)