寄物陳思俳句考とは何を考える
児 島 庸 晃
俳句は誰のために詠むのだろうかと思うことがある。何のために何の目的をもって詠み続けるのだろうか。ましてや句会で最高点を得るために俳句を作っているとも思えないのだ。
…このように簡単に割り切ってしまえば何のこだわりもないのだが。どう考えてみても多くの俳人に良く見せようとして表現の工夫ばかりを気配りしているようにしか思えないのが昨今の俳壇である。わかりやすく言えばより大きく目立つ言葉選びや表現に心配りをしているようにも思える。どうやら自分自身のために詠むという基本を忘れているらしい。当然おとなしい静かな句柄は点が入らない。そして句としては質の低い、良くない作品として話題にもならなくなる。仲間内の流行にもてはやされる作品が残り、話題にならない作品はやがては時代から取り残されてゆくのかもしれない。そこで今回は俳句の基本にかえり復習をしたいと思う。
俳句の形には二つある。「物」俳句と「事」俳句である。そのうちの「物」に類するものに「寄物陳思」があり、「事」に属するものに「正述心緒」がある。この二つについての解説は「國文學」(學燈社1997年7月号)による、と正述心緒は景物を媒介せず、心を直接表したものであり、漢詩文の影響の上に成ったもので実感的であるよりも観念的・演技的。それゆえに社交的・戯笑的な過剰さを持つ、とある。
また、寄物陳思の「寄物」は「物に寄せて」と訓まれるが、それは景物によって心を比喩的に表すことであるよりも、景物によって心が喚起・増幅されることを示していると見ることが出来る、とある。
この二つの学術的解説文は学識の上に諭されてはいるが、簡単に述べると正述心緒には作者の心が籠っているよりも演技もしくは演出されていて、事が誇張されていると言うことではなかろうか。一方、寄物陳思は中国詩の表現法の一つでもあり日本に伝わって「万葉集」のなかでも見られれているもの。後に俳句の基礎技法ともいわれるようにもなったものである。そこでその俳句だがそもそも連句の初句が独立して俳句としての価値観をもったものだと一般には思われている。だが、実はこれに相反する思考を述べたのは塚本邦雄であった。次の文章である。
初句は俳句に変身した時から明らかに性格を一新し、短歌とは拮抗背反する要素を持つことになった。(中略)十七音はその時練衆と袂を分ち、一句として孤立する栄誉を担ふのである。反歌が和歌にかつ短歌にかわってもなほ余情連綿の世界に生きるのに比べれば、俳句の持つ逆説的断言性はいちじるしく対照的である。私は現代俳句鑑賞の際も、連句の余響を曳く作品はいかに傑れてゐようとも次善とする。
きっぱりと俳句の独立性を主張する塚本邦雄について寄物陳思の心を込めてのものであったと言うのは福永法弘氏(天為)。
死にたれば人来て大根煮きはじむ 下村槐太
の句を「附句を誘ふやうな属性を切りすてたところに、この詩形の心にひびく辛味は生まれ」ており、特に優れた作品であるとして引用している、とは塚本邦雄の思考。「附句を誘ふやうな属性を切りすてる」は「思いを直接には述べずに。モノに託して表す」と言い換えることが出来よう。この槐太の句に、思いを直接に述べた部分は一切ないにもかかわらず、死への絶望は限りなく深く、諦念は限りなく明るいのである(総合誌「俳句」平成17年7月号)
福永氏は…真に独立した俳句であるためには、附句を誘う欲求が立ち登ってくることを峻拒しなければならない。そのためにはもっとも有効な技法が寄物陳思である、と示している。そして余情をすっぱりと断ち切り、モノを呈示して断定的に言い切ることが肝要なのである、と述べているのだ。
寄物陳思と言ってもなかなかこの言葉だけからは理解しにくい。「モノに託す」と言っても作者自身の主情を消滅させて表現すものではないのだ。モノに私を語らせることである。モノの象徴性を利用して、私の思いを託して語らせることである。そしてそのためにはモノの具象性が必要なのである。俳句は一七音と言う実に短い詩形ゆえ、物事の説明は出来ない。よってモノの形や姿より浮かぶ象徴をより具体的に描き出し、その象徴に私を託す…これが寄物陳思である。
犬の鼻大いにひかり年立ちぬ 加藤楸邨
羽子板の重きが嬉し突かで立つ 長谷川かな女
一月の川一月の谷の中 飯田龍太
滝の上に水現れて落ちにけり 後藤夜半
夏草に汽罐車の車輪来て止る 山口誓子
秋風や模様のちがふ皿二つ 原 石鼎
削るほど紅さす板や十二月 能村登四朗
ここに採録した句は過去のものであるが、既に俳壇ではよく知られた句で俳句作法で基本ともなるもの。そして寄物陳思を思わせるに充分な表現を得たものである。