画家村山槐多の軌跡を年代順に作品ごとの解説付きで鑑賞できる綺麗な一冊。発色が良いこともあって槐多の色彩に関する繊細さと描線の確かさと美しさがよく感じ取れるところに良さがある。
教科書などにも掲載されているアニマリズムを標榜した時期の動物的荒々しさの表現に向かった「尿する裸僧」や「裸婦」ばかりが村山槐多の個性ではなく、優れた構成に精神的なものを埋め込むように抑制を利かせながら表現した作品の潜勢力にも画家としての特異性があったのではないかと意識を向けてくれている。
文章においては悪魔的で極端な頽廃表現に天然の才があったように思えるが、絵画表現では破綻よりも諸物の均衡を追及していくことが本意であったような印象を受ける。
残された絵画作品からだけでも才能があったということは間違いないところだが、22歳での若すぎる死は絵画表現においては未完の印象を強く与える。これは本書の著者村松和明が通説を翻して晩年の作品の完成度の高まりを指摘してもなお感じてしまうところである。
それに引きかえ怪奇的作風の物語作家としての村山槐多はより完成度が高い。江戸川乱歩に大きな影響を与え、そのために絵画作品の購入にまで及んだというエピソードが紹介されているところは、画集でありながら文芸的な面で大変参考になった。
【目次】
第1章 早熟の画才─岡崎・京都時代 1896─1914(明治29-大正3)0-18歳
水彩画、詩、短歌、小説、戯曲……回覧雑誌は槐多の才能を一気に開花させた
コラム 少年への恋──美しきものへの憧憬
稚拙さは意図的なデフォルメだった
栴檀は双葉より芳し──最初期の作品にみる天賦の才
油彩への取り組み
緻密な下準備を重ねた写生
山と樹と人と
第2章 周囲の期待、そして挫折─上京前後 1914─1915(大正3-4)18-19歳
槐多を魅了した信州の地
水彩画の探求
田端での暮らし
画壇デビューを果たして
【視点】謎の大作《日曜の遊び》をめぐる?末
第3章「アニマリズム」開眼─新生槐多の猛進 1915─1917(大正4-6)19-21歳
信州での一大転機
アニマリズム全開!
【視点】《尿する裸僧》は槐多の代表作か
デッサン─1915-1916
コラム 岸田劉生の存在
傷心の大島で
第4章 晩年─虚無と絶望の果てに 1917─1919(大正6?8)21-22歳
湖水と女性──神秘的なるものへの畏敬
房州で生み出された油彩の傑作
晩年のデッサン
最晩年の自画像
【槐多資料館─書簡】
【付箋箇所】
村山槐多
1896 - 1919