以下の参考文献をもとに、日本で起こったハイパーインフレの歴史を整理する
・Mizuno, T., M. Takayasu, and H. Takayasu. The Mechanism of Double-Exponential Growth in Hyper-Inflation. 2002
・Teranishi, Juro. Inflation Stabilization with Growth: The Japanese Experience, 1945–50. Japan's Economic Ascent, 1st ed., 1998.
・Nelson, Edward. The Great Inflation and Early Disinflation in Japan and Germany. Federal Reserve Bank of St. Louis, 2018
・Hewitt, Mike. Hyperinflation around the Globe. 2011
・Montier, James. Hyperinflations, Hysteria, and False Memories. GMO, 15 Feb. 2013
日本は、第二次世界大戦後の1944年から1948年にかけて、ハイパーインフレーションを経験した。この時期の日本の消費者物価上昇率は5,300%に達している。
これは経済活動や社会生活に深刻な影響を及ぼすほどの極めて急速な物価上昇である。
ハイパーインフレーションの背景
1945年の敗戦は日本経済に壊滅的な打撃を与えた。工業生産は壊滅状態となり、食料や物資は深刻な不足に陥った。また、戦後の混乱と連合国軍による占領政策が経済状況をさらに悪化させた。
ハイパーインフレーションの要因
巨額の財政赤字
戦費調達のために政府は巨額の財政赤字を抱えていた。戦後も復興事業や占領軍への支出などにより、財政赤字は拡大を続けた。
政府はこの財政赤字を穴埋めするために、日本銀行に紙幣の増刷を要請。
日本銀行による通貨の過剰発行
政府からの要請に応じ、日本銀行は大量の紙幣を発行した。この結果、市場に大量の紙幣が出回り、通貨の価値が急落。
深刻な物資不足
戦争による生産能力の低下と輸入の途絶により、深刻な物資不足が発生。需要と供給のバランスが崩れ物価が急騰。
人々の心理的要因
物価が上昇し続けることを予想した人々は、商品を買い占めるようになった。この買い占め行動が、さらなる物価上昇を招き、ハイパーインフレーションを加速させた。
ハイパーインフレーションの影響
生活水準の急激な低下
物価の暴騰により、人々の生活は困窮した。国内の生産能力が壊滅したことに加え、輸入ルートも途絶えた。戦時中の統制経済下では、政府は国民に貯蓄を奨励し、戦時国債の購入を強く推奨していた。
多くの人々が政府を信頼し、貯蓄や国債という形で資産を保有していたが、ハイパーインフレーションの発生により、通貨の価値が暴落。預金や戦時国債は紙切れ同然となり、国民の資産は一夜にして失われた。
また、物価の急騰は生活必需品の価格を押し上げ、人々の生活を直撃した。給与の上昇は物価の上昇に追いつかず、実質賃金は大幅に下落。生活水準は急激に低下し、多くの人々が貧困に苦しんだ。
戦前は、食料や資源の多くを輸入に頼っていたが、敗戦により輸入が不可能になったため、深刻な食料不足、資源不足に陥った。都市部では、深刻な飢餓が発生し、多くの人々が栄養失調に苦しんだ。
経済活動の停滞
ハイパーインフレーションは、企業の投資意欲を減退させ、経済活動を停滞させた。戦争末期の空襲によって、日本の主要都市や工業地帯は壊滅的な被害を受けた。工場や設備は破壊され、生産活動は停止状態に陥った。
この結果、工業生産は戦前の水準と比較して10分の1以下にまで激減し、人々の生活に必要な物資の供給が極端に不足した。また、戦争中の政府による統制経済が敗戦により緩み、金融システムが混乱した。
戦時中の国債の価値は暴落し、銀行は巨額の不良債権を抱えた。このような状況下で、企業は資金調達が困難になり、経済活動はさらに停滞した。
社会不安の増大
物価高騰と生活苦により、社会不安が高まり、ストライキや暴動が頻発。通貨の価値が暴落したため、預金や債券などの金融資産の価値も失われた。信用制度が崩壊し、経済活動はさらに混乱した。
日本政府の対応
財産税
1946年、終戦処理とインフレ抑制を目的として財産税が導入された。これは、10万円以上の財産を持つ個人に対して一度限り課税されたもの。当時の10万円は現在とは価値が大きく異なり、かなりの高額所得者層が対象。
税率は課税価格に応じて25%から最大90%という累進課税。特に高額所得者層への税率は非常に高かった。当初、財産税は国債償還に充てる目的もあったが、実際は一般会計歳入の補填に多くが使われた。
戦時補償特別税
財産税と同時に戦時補償特別税も創設された。これは、戦時補償請求権に対して100%課税するというもの。戦時補償請求権とは、日本政府が国民や企業に対して支払うと約束していた補償金の請求権のこと。具体的には戦争中に政府が企業の工場や機械設備を接収した場合、その損失に対する補償、空襲や戦闘で家屋や財産が損害を受けた場合の補償など。
戦後の日本は、戦争の敗北により財政が破綻状態であったため、政府は巨額の戦時補償債務の支払いは不可能だった。そこで政府は、時補償請求権に対して「戦時補償特別税」として100%課税することで補償を事実上ゼロにした。これにより政府が負っていた戦時補償は解消され、財政健全化が図られた。
預金封鎖
1946年(昭和21年)2月16日、預金封鎖を実施。これはインフレの抑制と新円への切り替えを円滑に進めるために行われた措置。預金の引き出しが制限(1世帯あたり1か月に引き出せる金額は当初世帯主300円、家族1人あたり100円)され、新円への切り替えが行われた。これにより旧円の価値は大幅に下落し、国民の財産に大きな影響を与えた。
ハイパーインフレーションからの脱却
日本は、1949年に開始されたドッジ・ラインと呼ばれる経済安定政策の実施。これにより、財政規律の強化、通貨発行の抑制、均衡予算の達成などに取り組んだ。また、1950年に勃発した朝鮮戦争による特需景気が、日本経済の復興を後押しした。これらの要因により、日本はハイパーインフレーションを克服。