極私的80年代遊戯事情:もう90年代&枝分かれから本編へ

大学推薦入試を近年で言うところの「舐めプ」した結果、見事に不合格となったおじさん。これからどうしようというところで目に入ったのは、「ゲーム専門学校」の開校案内であった……、というのが前回。
時に1990年。この時代は家庭用ゲーム機において大きな歴史の転換点であると言えよう。何故ならば、かの「スーパーファミコン」が発売された年だからだ(1990年11月)。ローンチタイトルは「F-ZERO」と「スーパーマリオワールド」の2本だけだったが、そこから年末に向けてサードパーティーからの新作提供が続々と行われ、年末年始商戦の目玉となった。
個人的興味は「グラディウスⅢ」と「ファイナルファイト」の2タイトル。どちらもアーケードゲームからの移植であったが、スペック上完全移植とはいかず一部グラフィック等のオミットがあったが、十分遊べるレベルでの提供であった。
進路をどうするか悩んでいた、いや、悩んでいるふりをしていたおじさんにとって、アーケードゲームに近い移植ができる家庭用ゲーム機「スーパーファミコン」はとても魅力的な存在であった。とはいえ今は身の振り方を(どのような結果であれ)決めねばならない時期。さて、と思案したところで前述の「ゲーム専門学校」である。悪い考えが首をもたげる。
「ゲームの専門学校いけば、教材として堂々とゲーム機を買えるのでは?」
ダメ思考である。付け加えるならモラトリアムも込みだ。果たしてこの計画(思いつき)は実行に移されるのである。
まずは家族の説得。あまりいい顔はされなかった(むしろ訝しんだ顔をしていた)が、とりあえず進学することには変わらないので無事受験許可をいただいた。その後、願書提出に必要な書類を高校からもらって出願→受験。年明けて2月くらいには無事合格となった。3月卒業時、担任から「進路どうするんだ?」と問われたのだが「あ、もう決まりました」とさらっといい思い出である。いや、全然よくない。なんで担任に逐一報告しないんだオメー。
高校卒業後、春休みのほとんどをアルバイトに費やし、教材と称して新たなPC(PC9801)と「スーパーファミコン」を手に入れることなる。ここから本格的に家庭用ゲームに向き合うこととなった。
そしてそう、3月を迎えたのだ。1991年の3月だ。さらなるモラトリアムを迎えたおじさんの前に、これまたゲーム史に残る有名タイトルが登場するのである。
ストリートファイター2」。これまでのアーケードゲームの流れを大きく変えた存在。
次回より「極私的90年代遊戯事情」に変更だね、この過去語り。

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