PR ヴァシュロン・コンスタンタン
VACHERON CONSTANTIN なぜ270年も愛され続けるのか 飽くなき「探求」とその先にあるもの

レ・キャビノティエ・ウェストミンスター・ソヌリ
– ヨハネス・フェルメールへ敬意を表して –(2021年)

1755年の創業以来、一度も途切れることなく
歴史を紡いできた
ジュネーブ最古のウォッチメゾン、
ヴァシュロン・コンスタンタン。
最善を尽くし、時計の技と美の探求を重ねた270年の歩みを紐解く。


“Do better if possible, and that is always possible”

「できる限り最善を尽くす、
そう試みる事は少なくとも可能である」

フランソワ・コンスタンタン

これは創業者のひとりであるフランソワ・コンスタンタンが、1819年に共同経営者ジャック=バルテルミー・ヴァシュロンに
宛てた言葉。
この「探求」の精神が270年の歴史を導いてきた。



一貫性をもって紡がれた
270年の「伝統」

レ・キャビノティエ・ウェストミンスター・ソヌリ – ヨハネス・フェルメールへ敬意を表して –

レ・キャビノティエ・ウェストミンスター・ソヌリ
– ヨハネス・フェルメールへ敬意を表して –

ヴァシュロン・コンスタンタンが誇る究極のユニークピース。
オランダの画家ヨハネス・フェルメールの傑作
『真珠の耳飾りの少女』を、
エナメル細密画の第一人者である
アニタ・ポルシェが2年の歳月をかけて製作した。

国際都市として知られるジュネーブは、“時計の都”と称されるスイス時計産業の中心地であり、その歴史は17世紀にさかのぼることができる。

ジュネーブでは中世から金銀細工の手工業が発展していたが、その技術を発展させる形で時計の製造が始まった。さらにフランスで信教の自由を保障する「ナントの勅令」が1685年に廃止されると、宗教的迫害から逃れるために多くのユグノー(カルヴァン派プロテスタント教徒)が亡命し、同じ言葉を話すジュネーブに暮らした。そこには多くの時計師が含まれており、フランスの最先端の時計技術をもたらした。その技術と伝統の金銀細工技術とが融合した結果、ジュネーブの時計産業は大きく発展し、最盛期には都市の人口の5分の1以上が時計産業に従事していたという。

ジュネーブの時計産業を支えていたのは、凄腕の時計師たちの存在だ。彼らは住居の屋根裏を仕事部屋(キャビネット)として、時計を製作していたことから“キャビノティエ”と呼ばれていた。

当時は機械式時計こそが、人類が生み出した最高峰の英知であり、科学や物理学、金属工学や天文学など幅広い知識を持つ者だけが、時計を製造することができた。そのためキャビノティエは優れた職人でありながら、人々から尊敬される知識人でもあったのだ。



グランおよびプチソヌリ、ミニッツリピーター、トゥールビヨン、ウェストミンスター・チャイムを搭載したCal.3761。それを美しく仕上げる職人たちの探求心には驚かされる。



ヴァシュロン・コンスタンタンの創業者であるジャン=マルク・ヴァシュロンもキャビノティエのひとりで、1755年にジュネーブで徒弟を迎え入れたことから、メゾンの歴史が始まることになる。

同社が大きく羽ばたいたのは三代目ジャック=バルテルミーの時代。卓越した時計技術を持つ彼は、ビジネスパートナーとして、商家に生まれたフランソワ・コンスタンタンを招き入れ、1819年にヴァシュロン&コンスタンタン社がスタート。フランソワ・コンスタンタンの才覚によって市場を拡大し、同社の時計が世界に広がった。彼がジャック=バルテルミー・ヴァシュロンに宛てた「できる限り最善を尽くす、そう試みる事は少なくとも可能である」という言葉は、今日のメゾンのモットーとなっている。

歴史あるスイス時計産業だが、歴史のうねりの中で何度も苦境に陥った。老舗ブランドであっても休眠状態に陥るメゾンもあった中で、ヴァシュロン・コンスタンタンは、その長い歴史で一度も途切れることなく時計作りに邁進してきた。それは常に時代のニーズに合った時計を生み出してきたと同時に、時代をリードする革新性を取り入れ、探求心を絶やさずに挑戦してきたからに他ならない。

ヴァシュロン・コンスタンタンは、常に技術の継承と革新性の探求を両輪としてきた。現在存在している美しい時計たちも、これから続いていく歴史の一部に過ぎず、未来へと時間を刻み続けている。


丁寧な手仕事は職人の「情熱」から生まれる

ヴァシュロン・コンスタンタン三代目ジャック=バルテルミーは、優秀な時計師を育成するだけでなく、その技術を最大限に生かすために、19世紀中ごろから近代的な生産工程を取り入れた。1839年に技術者のジョージ=オギュスト・レショを雇い、工作機械のパンタグラフを発明。これは自動旋盤機を使ってパーツの規格を統一し、互換性をもたせることで時計の品質を高めるというものだ。さらに1934年には、20分の1秒単位での計算を可能にする高振動携帯装置を開発し、精度追求のレベルを高める。キャビノティエの伝統に近代的な製造技術を融合させることで、ヴァシュロン・コンスタンタンは更なる高みを目指すことが可能になった。

ヴァシュロン・コンスタンタンの職人技術に対する情熱が、最も端的に表れているのは「ジュネーブ・シール」だろう。これは1886年にジュネーブ共和国及びジュネーブ州により導入された公的認証で、ジュネーブの高級時計製造技術の象徴であり、ジュネーブにおけるクラフトマンシップを表すもの。

その規格は精度だけでなく、素材や仕上げの審美性に対してかなり綿密に定められているのが特徴だ。例えば機械加工の跡は手仕事できれいに整えることが求められ、パーツの角を落としてポリッシュ仕上げをする一方で側面にはヘアライン仕上げでメリハリのある輝きを引き出す。歯車の輪列には、摩耗を防ぐルビーの穴石を使用することが必須だ。ジュネーブ・シールの規格は、ムーブメントだけでなくケースも対象となっているため、ヴァシュロン・コンスタンタンの時計は、すべてが伝統的な美しさで構成されているということになる。

レ・キャビノティエ

レ・キャビノティエ・ピーテル・パウル・ルーベンス『アンギアーリの戦い』へのオマージュ(2023年)
シンプルなセンターセコンドモデルのダイヤルに、ミニアチュール・エナメルやグリザイユ・エナメルで、フランドル派の巨匠、
ピーテル・パウル・ルーベンスの名画を描いた。極めて繊細なタッチと奥行きのある立体感の表現は、まさに圧巻のひと言。

こういった規格を守るためには、ジュネーブの伝統的な時計技術を継承するという理念と情熱がなければ難しい。それを実現させるのは最終的には職人の手仕事であり、ここにもキャビノティエの精神が息づいている。

またメゾンを象徴する「マルタ十字」にも、職人への敬意が込められている。これはムーブメントの重要パーツの形にインスピレーションを受けて生まれたもの。時計師しか見ることができないパーツをメゾンのシンボルにすることも、キャビノティエの精神を尊び、職人技に敬意を示す。その信念はエナメルや彫金といったメティエ・ダール(美術工芸装飾)にも反映されており、職人に敬意を払い、手仕事を尊びながら、機械と装飾表現の両方を探求し続ける。

それが今日のヴァシュロン・コンスタンタンの時計へと結実したのだ。


時計への探求心が「最善」の作品につながる

美しい時計は、必ず人の手から生まれる。その探求心を継承するのも大切な役割となっている。

最善を尽くし、機械式時計の技術や文化を深く探求していくことこそが、ヴァシュロン・コンスタンタンが目指す場所。だから機械と芸術の最高峰を探求するために、創業当時からユニークピースの製造に力を入れてきた。

創業以来多くの王侯貴族や資産家が特別な時計を求め、ヴァシュロン・コンスタンタンはそれに応えてきた。創造性と技術力を探求して到達した最高級の時計たちは、まさにキャビノティエの精神を継承する象徴であった。

このユニークピースの伝統を現代に蘇らせたのが、2006年に開設された「アトリエ・キャビノティエ」だ。この部門では依頼人の要望に沿い、必要であれば機構の開発からスタートして、唯一無二の時計を製作する。

ここから生まれた時計は常に世界を驚かせているが、2024年は63の複雑な機能を搭載する世界で最も複雑な時計「レ・キャビノティエ・ザ・バークレー・グランドコンプリケーション」が話題となった。懐中時計の表裏にはいくつもの表示が配置され、チャイミング機構やトゥールビヨン、そして世界初の中国暦パーペチュアルカレンダーも搭載されている。

実はこの時計は、メゾンの創業260周年に発表した「Ref. 57260」の依頼主がその完成間際に、“次なる挑戦”として依頼したもの。つまり専任の3人の熟練時計師が、20年近い年月をかけて“最善”を目指して最高峰の時計を“探求”した結果であり、時計製造に対する誇りと美意識が詰まった作品となっているのだ。

レ・キャビノティエ・ザ・バークレー・
グランドコンプリケーション(2024年)

創業260周年に誕生した「リファレンス 57260」を所有する時計愛好家が、その「リファレンス 57260」完成間近に、メゾンへの次なる挑戦として発注。実に2877個もの部品から構成されており、63の複雑な機能を搭載。また、世界初の中国暦のパーペチュアルカレンダーを組みこんだ。

①ムーンフェイズの下にある小窓には、干支が表示される。複雑な中国暦の永久カレンダーは世界初の試み。②グレゴリオ暦の永久カレンダーも搭載。これらのカレンダー機構は、2200年まで調整不要だという。③31本の針と9枚のディスクでさまざまな表示を行う複雑な機能は、メカニズムの美しさでも楽しめる芸術作品だ。

ヴァシュロン・コンスタンタンの美意識は、メティエ・ダール(美術工芸装飾)にも表れる。金銀細工産業が盛んだったジュネーブでは、懐中時計のケースやダイヤルに、エナメル画や彫金などのメティエ・ダールを施す伝統があった。こういった技術は、腕時計が開発され、実用品として使われるようになると徐々に廃れてしまう。それでもヴァシュロン・コンスタンタンでは、この技術を用いた時計をつくり続けることで伝統を絶やさず、現代へと継承するために自社にメティエ・ダール工房を構え、エナメル装飾やギヨシェ彫り、ジェムセッティングなどの芸術技法を通して、時計をアートピースへと昇華させる。

その情熱もまた凄まじく、2021年に発表したフェルメールの名画を描いた「レ・キャビノティエ・ウェストミンスター・ソヌリ – ヨハネ・フェルメールへ敬意を表して - 」は、なんと7年という歳月をかけて製造された。これは57の機構を搭載し、2015年の発表当時“世界で最も複雑な機械式時計”であった「Ref 57260」と同等の開発期間。つまり複雑な機構にもアートピースにも同じような情熱をもって挑むという“意地”と“探求心”が、今日のヴァシュロン・コンスタンタンを支えているのだ。

さらにその理念は時計にとどまらず、芸術や文化遺産の保護と継承という目標を共有する美術館とのパートナーシップも締結。2019年にはルーヴル美術館とパートナーシップを結ぶ。コロナ渦、ルーヴル美術館を支援するためのオークションでは、ルーヴル美術館に収蔵されている作品をモチーフとした時計を製造できる権利を出品。そこから生まれた「レ・キャビノティエ・ピーテル・パウル・ルーベンス『アンギアーリの戦い』へのオマージュ」は、さまざまなエナメル技法を駆使してダイヤル上で名画を再現した。

ヴァシュロン・コンスタンタンは、機械工学としての美しさとメティエ・ダールとしての美しさの両方に対して最善を尽くし、まだ見ぬ時計を生み出そうという探求心を270年間も燃やしてきた。その思いが、今もなお時計製造の原動力となっているのだ。

VACHERON CONSTANTIN
ヴァシュロン・コンスタンタン
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このコンテンツは「GOETHE」2025年3月号に掲載されたヴァシュロン・コンスタンタンの広告記事を再編集したものです。

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