永遠のデザイナー系オーディオ「ブリオンヴェガ」 現代の技術を取り入れ名作を復刻
草創期からミラノ・トリエンナーレ展覧会で賞に輝く
家電、自動車、スマートフォン、カメラ……世界で毎日のようにニューモデルがリリースされる。そうしたなか、「初代や先代モデルのほうが、スタイリッシュであったのに」と悔やむことが、これまで筆者の人生に何度あったことだろうか。そう思いながら、新製品を購入した回数も数知れない。
ニューモデルは、旧製品と比較して機能・性能が進化していることは理解できる。安全性や環境性能のために、新製品に買い替えることが消費者にとっての責務であるかのような見解もときおり目にする。それでも過去モデルに後ろ髪をひかれることが少なくない。
たしかに、歴代モデルのエッセンスを盛り込もうとしたプロダクトも存在した。日本でいえば、1967年日産「ブルーバード510型」のデザイン言語再現を試みた1977年「バイオレット/スタンザ/オースター」や、同名のハーフサイズカメラをデジタルで復活させた2009年オリンパス「PEN」のような例がある。しかしいずれもオリジナルのデザインからは、かなり遠ざかっていた。
ここに紹介するのは、イタリアのオーディオ機器ブランド「ブリオンヴェガ」である。その始まりは、第2次世界大戦が終結した1945年のミラノで、ジュゼッペ・ブリオンが技術者レオーネ・パイェッタと設立した「B.P.M(ブリオン・パイェッタ・ミラノ)」社に遡(さかのぼ)る。当初彼らは電気部品を製作していたが、のちにラジオ製造に進出した。やがて、こと座の1等星にちなんだ「ヴェガ」を商標として使用するようになり、社名も「ヴェガB.P.ラジオ」に改称した。
続いて1954年イタリアでテレビ放送が開始されると、ブリオンとパイェッタは、テレビ受像機への進出を模索しはじめる。そして彼らは他社との差別化を図るべく、当代一流のデザイナーに依頼することを決めた。ロドルフォ・ボネットのデザインによる1959年の23インチ白黒テレビ「クリスタッロ(水晶)」は、早くも翌1960年の第12回ミラノ・トリエンナーレ展覧会で賞に輝く。
ジュゼッペ・ブリオンBrionと従来の商標Vegaを合わせた「Brionvega」のネーミングは1960年に誕生。1963年には正式にブランド名として定められ、60年代末には会社名にもなった。
D.ボウイやF.コッポラも愛した革新的デザイン
1968年、ジュゼッペ・ブリオンが死去すると、息子で当時28歳のエンニオ・ブリオンが母オノリーナとともに会社を継承する。エンニオは父のポリシーを継ぎ、気鋭のクリエーターとのコラボレーションを加速する。具体的にはマルコ・ザヌーゾ、リチャード・ザッパー、アキッレ&ピエール=ジャコモ・カスティリオーニ兄弟が参画。1969年にはマリオ・ベッリーニが加わり、その後エットーレ・ソットサス、そしてロベルト・ルッチ&パオロ・オルランディーニ組もブリオンヴェガのカタログに名を連ねた。
彼らが手掛けたブリオンヴェガ製品は、オリベッティのタイプライターとともに、イタリアン・デザインの優秀性を世界に知らしめた。とりわけザヌーゾ/ザッパー組によるデザインは高い評価を獲得した。1964年の「ラジオ.クーボ」およびポータブルテレビ「アルゴル」は、いずれもニューヨーク近代美術館(MoMA)の永久所蔵品に選定された。そのアルゴルは1962年のテレビ「ドニー」とともに、イタリアのコンパッソ・ドーロ(金のコンパス)賞にも選ばれている。
セレブリティーにも愛された。俳優そしてシンガー・ソングライターのデヴィッド・ボウイは、ラジオ付きレコードプレーヤー「ラジオフォノグラフォ」を長年愛用していた。没年の2016年に開催されたサザビーズ・オークションでは、彼のもとにあった「ラジオ.クーボ」が3万ポンドで落札されている。映画監督フランシス・フォード・コッポラは「ブリオンヴェガは長年にわたって私を魅了し続けてきた。彼らの製品の革新的デザインと効果的なパフォーマンスに、いつも感激していた」と賛辞を送っている。
1980年代ブリオンヴェガのテレビCMにおけるキャッチフレーズ「より美しいフォルムに込められた技術」は、同社のアイデンティティーを端的に表していた。
当時撮影されたブリオンヴェガ製品の内部を写した写真を見て驚くのは、極めて整然としていることである。アップルの創始者スティーブ・ジョブズは、普段は見えない製品の内部の美しさにこだわった。同様のことを数十年前からブリオンヴェガは実践していたことになる。
ブリオンヴェガの成功は、これもオリベッティと同様、才能あるプロダクトデザイナーを起用するだけでなく、彼らのアイデアを可能な限り忠実に実現しようとしたからにほかならない。精神性という観点からすれば、社会と企業という根本的な違いこそあるものの、画家や彫刻家に惜しまず創造の機会を与えた、ルネサンス貴族に共通するものを見いだせる。
当時のブリオンヴェガ製品は、今日のイタリアでも人気が高い。インターネットのオークションサイトでは、最低落札価格が円換算で7万円近い1969年製テレビの出品が確認できる。全国チェーン系リサイクルショップにも、たびたび古いブリオンヴェガ製品が陳列される。筆者が住むシエナで、そのフランチャイジーを務めている店主に聞けば、「アナログ放送が終了しているので単体では視聴できない。だが、外付けの地上波デジタル用チューナーと組み合わせて実用に供したり、インテリアとして楽しんだりする人が少なくない」と教えてくれた。
ファンは筆者の知人にもいた。シモーネ(49歳)は2台のブリオンヴェガ製テレビを所有している。そのうち1台・1982年製アルゴルは、イタリアで日本の七五三のような意味あいをもつ「聖体拝領式」の日に両親からサプライズでプレゼントされたという。「友達からは『それなりの値段で売れるぞ』と言われたけど、少年時代の大切な思い出として、一人暮らしを始めるときに実家から持ってきたんだ」と熱く語る。
2度にわたる倒産ののち復活
ブリオンヴェガ史に話を戻せば、やがて彼らの経営に暗雲がたちこめる。イタリアのテレビ・オーディオ機器市場が、フィリップスやテレフンケンをはじめとする他の欧州ブランドに席巻されていったからだった。たとえデザイン的に未熟でも信頼性に富み、コストパフォーマンスが高い日本製品も追い打ちをかけた。いくらデザイン・コンシャスを標榜(ひょうぼう)しても、家電市場全体における低価格化の波には抗しきれなかった。
1992年、ついにブリオン家は会社を同じイタリアの家電メーカー「セレコ」に売却。ブリオンヴェガは同社の1ブランドとなった。しかしそのセレコも1997年には倒産してしまう。同年にブランドを継承した「フォルメンティ」社も破産し、会社を解散した。
永遠に過去のブランドとなろうとしていたブリオンヴェガに再興のチャンスをもたらしたのは、「SIM2マルチメディア」社だった。北部ポルデノーネでハイエンド・オーディオ機器を手掛けていた同社は1995年創業の若い企業であった。にもかかわらず、2004年にAV機器関連分野でのブリオンヴェガの商標および意匠権を取得。ミラノの関連会社「BV2」を通じて名作の復刻を試みた。
現在では往年の「ラジオ.クーボ」をベースにした「ラジオ.クーボ50」、「ラジオフォノグラフォ」、そしてタワー型ラジオ「グラッタチエロ」を復刻生産している。生産はイタリア東部ウーディネの自社工場である。オリジナルのデザインを可能な限り忠実に再現するとともに、現代に求められる使いやすさを実現すべく各種機能が盛り込まれている。
例として、「ラジオ.クーボ50」「グラッタチエロ」はLCDディスプレーをもち、デジタルラジオ放送やBluetoothによる外部機器接続に対応している。とくに前者はリチウムイオン電池により、AC電源無しでの6時間再生も可能としている。「ラジオフォノグラフォ」もWi-FiおよびBluetooth接続ができるほか、USBポートを備える。
そうした復刻版とともに、1960年代の携帯ラジオから着想を得て、マイケル・ヤングが新たにデザインしたBluetoothポータブルスピーカー「ウェアリット」もラインナップに加えられている。
「正しい再生」の道標として
最後にブリオンヴェガ復活の背景を考えてみたい。BV2は自社について「唯一の目的は、デザインとメイド・イン・イタリーの歴史を作ってきた製品を、世界に向けて再出発させること」と明言している。
同時に、「内部を再生して使い続ける」という、イタリアならではのセンスを無視できない。筆者が住むシエナにある銀行は、14世紀に建てられた城館の内部を改装して今日でも本店として用いている。またトリノにある1923年落成のフィアット自動車旧工場「リンゴット」も好例だ。1982年から建築家レンツォ・ピアノによるリニューアルが開始され、外観はそのままに内部はオフィス、美術館、商業施設、ホテルなど複合施設に生まれ変わった。
そうしたイタリア人のレガシー再生のセンスを耐久消費財で実践したのが、ブリオンヴェガといえる。
もちろん「中身をアップデートしても使いたい」と使い手に思わせる志をもったオリジナルが存在したからこそ、という事実も忘れてはならない。だが、伝説のプロダクトのフォルムはそのままに、最新の機能を組み合わせられる可能性を、復刻版ブリオンヴェガは示しているのである。
(写真/Brionvega)