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銭湯 いつもそこにあった場所 世代間交流、洗濯、演説会まで

〈1963(昭和38年)〉銭湯の入浴料値上げが繰り返されて大人23円になった東京都内で、10円で営業を続ける江東区の「砂町浴場」は大繁盛。銭湯は生活に不可欠だった

明治の創刊以来、朝日新聞社には国内外の時代を記録した貴重な写真が保存されています。朝日新聞フォトアーカイブから、その時代の街並みや人々の生活、ファッション、風俗などを紹介します。今回のテーマは銭湯です。自宅に風呂がなかった時代に不可欠な存在でしたが、1968年には1万8千近かった一般公衆浴場はいまや10分の1になりました。ただ、熱い湯につかることだけでなく、洗濯する、子どもが遊ぶ、演説会場…….。銭湯は当時の人々にとって身近な交流場所でもありました。

銭湯 いつもそこにあった場所 世代間交流、洗濯、演説会まで
〈1967(昭和42年)〉雨の日でもエプロン姿の女性や子どもたちでにぎわう東京都中央区の銭湯。当時区内に50軒近くあったが、現在は8軒
銭湯 いつもそこにあった場所 世代間交流、洗濯、演説会まで
〈1964(昭和39年)〉大阪市旭区の銭湯で遊ぶ子どもたち。「鍵っ子」対策などでつくられた子供会が遊び場不足で困っていたのを見かねた銭湯のオーナーが、月1回開業前の浴場で遊べるようにしてくれた
銭湯 いつもそこにあった場所 世代間交流、洗濯、演説会まで
〈1959(昭和34年)〉大阪市内の休業日の銭湯を借り切って開かれた政治家の演説会。床屋ならぬ「風呂屋政談」。有権者との距離が近い方が票集めに効き目があるので、畳店、パチンコ店前、町工場裏の空き地なども会場となった
銭湯 いつもそこにあった場所 世代間交流、洗濯、演説会まで
〈1975(昭和50年)〉客離れによる減収を防ぐため、洗濯コーナーを設けた東京・門前仲町の銭湯。銭湯の開業前の午前9時から正午まで利用でき、料金は当時の大人入浴料と同じ100円だった

1904(明治37)年、朝日新聞に初めて写真が掲載されました。朝日新聞フォトアーカイブで公開している440万枚以上の写真から紹介します。法人様向け写真利用のお問い合わせ先はメール shashin@asahi.com へ。

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