バラ育種家・木村卓功さんが語る「次世代のバラ」(前編)
秋のバラは、日ごとに涼しくなる気候の中でゆっくりと花が咲くために花もちもよく、色合いが鮮明で大輪の花を咲かせるのが魅力です。埼玉県杉戸町のバラ専門店「バラの家」を経営し、育種家でもある木村卓功さん(51)が世に出すバラは、バラ愛好家らの庭先などで元気に咲いています。高温多湿の気候でも良く育ち、四季咲き性で美しく豊かな香りを持つ上に耐病性も備えるという「次世代のバラ」です。美しさと強さを兼ね備え、誰もが楽しめるバラを追求し続ける木村さんに、バラとの出会いから育種の仕事、そしてバラへの思いなどを語ってもらいました。 〈後編はこちらから〉
家業を継いでもいいと思わせた「ピース」
バラはもともと家業でした。私は、江戸時代初期から続く19代目の農家の長男になります。私が小1のときに父親がバラの切り花を始めました。昔の農家の子どもは労働者というか、私にとってバラとの出会いは父親の仕事のお手伝いです。子どもで遊びたいので、当時は切り花が嫌いでした。
中学、高校生のころに、フランスのメイアン社の「ピース」という、淡い黄色とピンクの剣弁高芯(花の中央が高く花弁の先がとがっているようなバラで昭和に大流行したいわゆるバラ咲き)タイプのバラを見た時、このバラだったら家業を継いでもいいかなと思いました。
家業の切り花の仕事をやり続けながら、最初は京成バラ園芸(千葉県八千代市)などから苗を仕入れて、花屋さんの片隅でガーデンローズを販売していました。それが19歳のころです。ある日、父親から海外の視察研修に誘われ、メイアン社、ドイツのコルデス社、ローゼン・タンタウ社を訪問し、育種設備を見せてもらいました。
若かったので「これなら俺もできるかな」と思って帰国後、“ミスターローズ”と呼ばれた有名なバラの育種家・鈴木省三 (せいぞう)さんの本に育種の手ほどきが書かれていて、見よう見まねで始めました。
ネット販売を始めたのは32歳の時です。そのころ、デビッド・オースチンのイングリッシュローズが入荷し、今までの剣弁高芯咲きタイプからロゼット咲き(花弁数が多く中心から放射状に並ぶ花形)やカップ咲き(横から見るとカップのような形で外弁と内弁の大きさがあまり変わらない)の花を見てカルチャーショックを受けました。
このままではバラは廃れる
25歳のころに作出した「わかな」は、当初、切り花として販売していました。当時、某大手バラ園でも緑色のバラはなかったので「販売してもらえますか」とお願いしましたが相手にしてもらえませんでした。34歳のころ、「わかな」をネットショップで販売し始めると人気になり、同時に直接、お客様の一次情報が入ってくることが分かりました。事業をしていく上で大事なことだと気づかされました。その後、ネットショップでのバラ苗販売が人気になっていく時代と重なり、毎日が忙しかったのですが、今思えば楽しい時代でした。
「わかな」を販売した後、いろいろな品種を出しましたが、2013年に東洋のバラというコンセプトで「ロサオリエンティス」というブランド名でバラ苗の販売を始めました。品種名では、シェエラザード、ルシエルブルー、オデュッセイア、ダフネなどです。狭い日本の住宅事情や高温多湿にも強い品種で四季咲き性のカップ咲き、ロゼット咲き品種の育種を目指しました。
2019年からはサブブランド「ロサオリエンティス プログレッシオ」での販売を始めました。バラは普通の庭木よりも病気が出やすく、こまめに薬剤散布しないと育たない花です。秋の季節に、一般のご家庭のガーデンを眺めていると、他の草花や木々が普通に咲いているのにバラだけ葉を落としている姿がありました。
バラは美しくて香りがいいのに、このままでは廃れていってしまう。薬剤散布を少なくして、無農薬でも育てられるようなバラに変えていかなければと考え、耐病性を圧倒的に向上させて、美しさや香りと耐病性を共存させたいと思い、バラの育種に力を注ぎました。
2019年に淡いピンク色のシャリマー、赤色のマイローズで耐病性が強い美しいバラを出しました。バラの場合、ピンクと赤は比較的、耐病性が共存しやすい色です。一昔前は茶色の花は樹勢も耐病性も弱い品種がほとんどでしたが、2024年の春に出した「ルクソール」や、同年秋に出した「葵の上」は耐病性が高いです。これまで、私が育種した品種は恐らく、120品種ぐらいだと思います。ロサオリエンティスでも100品種以上はあると思います。
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