「名前のついていない何かを見つける」。いしわたり淳治のワードハント〈特別編〉
作詞家いしわたり淳治が、気になるフレーズを毎月ピックアップし、論評していく連載「いしわたり淳治のWORD HUNT」。その連載の書籍『言葉にできない想いは本当にあるのか2』が12月9日に発売された。日々の言葉との向き合い方を語った特別編のインタビュー。
名前は人がこの世に生まれて一番最初に受け取るプレゼントだ。自分だけの名前を手に入れ、その名で呼ばれることで、世界に存在を認められる。名前のない家事が名付けによって初めて認識されたように。
2017年から&Mで続く連載「いしわたり淳治のWORD HUNT」は世の中のモヤモヤに名前をつける。流れる日々の中でまだ言葉になっていない、あるいは誰も言葉にできないでいる現象や感情が、言葉を与えられることでその姿を現し、生き生きと息づいて見える。それを一冊にまとめた『言葉にできない想いは本当にあるのか』の出版から4年。続編となる『言葉にできない想いは本当にあるのか2』の誕生を祝って、プロのワードハンターである著者の声を届けたい。
スマホ2台でワードハント
―月1回×4年分の軌跡を振り返ると、一つ一つがそのときどきの時勢の記録にもなっていて、これが新聞社のメディアで発表されていることの醍醐(だいご)味を感じます。本連載の書籍化は二度目になりますが、一度目と比べて心持ちの違いはありますか?
いしわたり:純粋に、自分の本のタイトルに「2」がついたのはすごく嬉(うれ)しいんです。前回できちんと成果を出せたからこそ成し遂げられたことだと思うので。タイトルを変える選択肢もあったと思うんですけど、やっている作業やスタンスは同じことの延長ですし、それを今でも続けられている証しとしてのマイルストーン的な感じというか。
―当初から長く続けたいという思いはあったのでしょうか。
いしわたり:全くなかったですね。もともと当時の編集者の方が、テレビで僕が歌詞の解説をしているのを見て気に入ってくださって、音楽についての連載をとお話をいただいたんです。でも歌詞の専門的なことばかり書いても盛り上がらないし、そもそも面白がれるものでもないというか。それで一度はお断りしたんですけど、テレビや雑誌から拾った言葉についての文章と短いコラムをくっつけるようなことだったらできますよと、試しに作ってみたものが採用されたんです。カジュアルだし、ジャンクだし、ポップだし、継続するならこの形がいいなと。気持ち程度に必ず音楽のことは書くようにしているんですけど、それは最初に声をかけてくれた編集者へのリスペクトで続けている感じです。
―取り上げる言葉を主にテレビから採集されているのがとてもユニークです。
いしわたり:どんな言葉も世の中で広く使われたら必ずテレビを通過するじゃないですか。だからテレビを定点観測することが世の中を正確に把握する方法としてはいいツールなのかなと。ただ、7年前の自分に話しかけられるとしたら、テレビを対象にすると将来えらいことになるぞと伝えたいですね。見る番組の量が半端なくなるぞと。TVerだったら見逃しても追いかけられるし、地方局まで網羅できるので、番組の存在を知っているのに見ないということができなくなってくるんですよね。さんいん中央テレビでかまいたちの新番組が始まったけど見なくていいのか? みたいな。毎回原稿の一行目は、言葉の出所となった番組の情報から書き始めるんですけど、自分は一体なんでこの局名を打ち込んでいるんだろうと思うときがあります。結果としてお風呂の中でスマートフォンを2台持ちしながら見る事態になっていますから。まさかこんなことになるとは思いませんでした(笑)。
―思い描いていた視聴風景と全然違いました(笑)。webでの連載時はリアルタイムに近い速度でアウトプットしていくところもあると思いますが、まとめて読み返したときに、この数年分の自画像みたいなものはどういう風に見えましたか?
いしわたり:なるべくテーマを散らして書きたいと思っているんですけど、やっぱり似ているところが多いなと思いました。入り口の言葉は違っても、最後は自分という同じところに着地しているなと感じて。それはいいことなのかもしれないけど、これからはもうちょい散らしたいなと思いました。「捕まりたくない」という感覚は昔からあって、(カテゴライズされるみたいに)こういう人だ、と思われるのが苦手なんですよね。自分はこういう人だ、とは自分でも思いたくないのかもしれません。
言葉の洪水の中からピックアップ
テレビを見て何かを書くことの時評的な側面を考えたときに、コラムニストのナンシー関を思い出す。くしくも両者は同じ青森県の出身だ。ただしナンシー関のコラムがしばしば辛辣(しんらつ)さをともなっていた一方で、本書は変化していく世の中をおおむね肯定的にとらえており、悪意やネガティブなワードからも距離を置いている。いしわたりといえば『EIGHT-JAM』などで披露する考察の切れ味の鋭さ、言語化の精度の高さは広く知られるところだが、ここでは言葉へのもっとラフな好奇心とそれを無責任に楽しむ姿勢のほうが追求されていて、何となく読者に問いかけ雑感を述べるぐらいの流れですっと筆を置いたような結びが心地いい。
いしわたり:書くときは全部見切り発車なんですよ。日頃耳にする言葉の洪水の中から気になったものをメモしておいて、締め切りが近づくとピックアップするんですけど、見直してもなんでその言葉が気になったのかはわからない。後から考えながら、つまりこういうことなのかもなと思いついて書いている感じです。飲み会で話題にして盛り上がりそうなもの、みんなで好き勝手に話せるようなことを書く、という基準は根底にあるかもしれないですね。
―必ずしも答えを出さなくていい、何かを持ち帰らなくてもいいんだというのは、逆に豊かに感じられます。冒頭の書き下ろしコラム「暇つぶし」は書籍が初出になりますね。
いしわたり:書籍の形になると内容が期限にとらわれないので、タイムレスなものを一つ載せたいなと思ったんです。今は暇つぶしという概念自体が多分この世から消え始めているんですけど、暇というもののとらえ方は永遠のテーマだろうなと思っていて。暇って正義のようでも悪のようでもあって、暇がないと個性も育たない。やらなきゃいけないことをやっている間はそれをする人に代わりがいるけれど、暇なときに何をするかはその人でしかないと思うんです。
―登場する言葉の中で気になった一例を挙げると、「顔見たいから、服見てない」というワードのチョイスには参りました。
いしわたり:『テレビ千鳥』で千鳥の大悟さんが残した発言ですね。広瀬すずさんの顔が見たすぎて何を着ていたかは全然覚えていないという。
―さらにこの言葉から「服ではなく印象を買っている」という着地点にたどり着くとは……!
いしわたり:そうなんですよ。今まで「服」を買っていましたか? 僕は「印象」しか買ったことがないです。
―まさにクローゼットを開けると同じような色の似たような印象の服ばかり並んでいて、そのことにどこか後ろめたさを感じていたのですが……。
いしわたり:こいつ冒険しないな、みたいに。
―はい。なので「すでに持っている服がくたびれてしまっているのなら、いくら似ていても「清潔感」という印象をあらためて買い直さなければならない」という考え方にはかなり救われています。
いしわたり:よかったです(笑)。
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他人にどう見られたいかという意識は、日常生活の中で大きな役割を果たす。
その際に、服装は他人に対する印象を操作する強力なツールとなる。特定の服を選ぶことで、自分の本当の気持ちや考えを隠し、他人に異なる印象を与えることができる。
例えば、ビジネスの場面では、プロフェッショナルな印象を与えるためにスーツを着ることが一般的ですが、実際にはカジュアルな服装を好む人も多い。
じぶんの考えや気持ちに沿うような服装の選択は、自己防衛や社会的な期待に応えるため大事だと思った。
例えば、重要なプレゼンテーションや面接の際には、信頼感やプロフェッショナリズムを伝えるためにフォーマルな服装を選ぶことが多いです。一方で、友人とのカジュアルな集まりでは、リラックスした雰囲気を演出するためにカジュアルな服装を選ぶことが一般的です。