(聞きたかったこと 広島)逝った友の言葉 残す

有料記事

北村哲朗
[PR]

 世界遺産をテーマにした和紙ちぎり絵の作品展で、「ヒロシマ忘れじ」と題された作品に出あった。毎年8月に開かれる灯籠(とうろう)流しの様子を原爆ドームとともに描いたのは広島市安佐北区の友近純子さん(83)。原爆で亡くなった人を思い、鎮魂の祈りを込めて制作したという。祖母や叔父を失い、自らも入市被爆した友近さんに胸の内を聞いた。

 1937(昭和12)年生まれ。物心ついたころには中国・天津の日本租界に住んでいた。鉄鋼関係の仕事をしていた父が結核を患い、終戦の前年の44年に父母の故郷、広島に引き揚げてきた。可部(現在の安佐北区)にあった伯父宅に身を寄せたが、父は翌45年6月に38歳で逝った。友近さんは当時7歳。35歳の母とともに残された。原爆が投下されたのは父の死から1カ月あまり後のことだ。

     ◇

 8月6日は朝から快晴。近く…

この記事は有料記事です。残り1169文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません