拡大する写真・図版映画「007は二度死ぬ」プロモーションのために来日、記者会見で共演の浜美枝(左)と若林映子に囲まれたショーン・コネリー=1966年

 《日本が舞台になった「007シリーズ」第5作の「007は二度死ぬ」(1967年6月公開)でボンドガールになる》

 俳優・ライフコーディネーターの浜美枝さんが半生を振り返る連載「出会って、学んで、輝いて」。全4回の3回目です。

 22歳のとき。所属する東宝の担当者に言われるまま、ホテルニューオータニのスイートルームを訪ねると外国の方がたくさんいて、よくわからないまま英語で質問されて、カタコトの英語で答えました。それが007のオーディションとわかったのは後のこと。東宝重役の藤本真澄さんから「受かったのでぜひやりなさい」。自分の意思と関わりなく決まっていったのです。

 まずは英語をマスターするためにロンドンに行くことになりました。滞在先は中心部のハイドパークの目の前にある名門ホテル「ドーチェスター」。ロビーで大好きだったソフィア・ローレンやオードリー・ヘプバーンを身近に見られるという楽しみはあったのですが、「ボンドガールであるあなたはホテルでは常にスーツなどを着て、ハイヒールを履き、メイクは完璧に」といわれて、窮屈なことこの上ない。さらに英語の先生は年配の元舞台女優で厳しいこと、厳しいこと。そこでストライキを起こしたのです。

 《ストライキの要求は?》

 ホテルを出たい、それと若い先…

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