なぜ「活」に追い立てられるのか 自己責任化が招く「生きづらさ」

有料記事

聞き手・田中聡子
[PR]

 婚活妊活、保活、終活と、世の中に「活」があふれています。生きていくだけでも大変なのに、そんなに「活」ができるのか、はたまた生きていくために「活」が必要なのか。社会福祉学者の堅田香緒里さんは、個人に「がんばらなければ」と思わせる社会状況に目を向けるべきだと指摘します。誰もが「生きづらさ」を感じる時代の背景にあるものは何か。話を聞きました。

 「○活」が世の中にあふれている背景には、国が個人に「自立」や「活躍」を促していることがあると思います。「活」の広がりは、国にとってとても都合がいいとも言えます。「がんばって生き抜かなければならない」となっている社会状況を放置し、自らの責任を後景化させたままでいられるからです。

 市民の最低限の生活を保障する体制の欧州の国々では、もともと福祉を受ける権利に重点が置かれていました。ところが、1980~90年代ごろから、論調が変わります。市民もアクティブに社会に参加し、貢献するという義務が強調されるようになりました。その結果、福祉を受ける権利が縮減されてしまった。

 日本でもこの権利が縮減していますが、日本が欧州と異なるのは、権利が成熟する前に縮減し始めたことです。生活保護の捕捉率は低く、家族関係の手当や給付も、経済協力開発機構(OECD)加盟国の中で非常に低い。

 国は福祉を受ける権利を縮減しつつ、「あなたの活躍を応援します」「能力を発揮してください」というかけ声で自己責任に追い込んでゆく。

 そのとき「活」は、人々の暮…

この記事は有料記事です。残り696文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【初トクキャンペーン】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら