コロナはいつまで「特別な病気」か。決めるものとは 磯野真穂さん

有料記事

聞き手・高重治香
[PR]

 流行が始まったころ、新型コロナは「特別な病気」だった。国内で6人に1人が感染した今、感染経験やリスク感覚には、個人差も目立つ。「特別」と「日常」の間で揺れるコロナと、これからどう付き合っていけばいいのか。人類学者の磯野真穂さんに聞いた。

 「コロナが落ち着いたら」とよく言われます。私は、落ち着く主体はウイルスではなく、私たちがこの病気を「数ある病気の一つ」と認識すれば、落ち着けるのだと思ってきました。

 流行が始まった頃、とにかくコロナに感染さえしなければいいと何でも「不要不急」扱いする社会のあり方に疑問を投げかけました。コロナがこれからどうなるか、その時点で確信はありませんでしたが、人と人が出会えば生まれていたかもしれない可能性が切り捨てられることへの怒りを私は感じていました。

後半では、感染症が流行すると差別が起きてしまう理由や、日本社会のリスク対応に見られる傾向について、語っています。

「一人称の世界」である病気の経験

 当時は批判を受けましたが…

この記事は有料記事です。残り2039文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません

  • commentatorHeader
    平尾剛
    (スポーツ教育学者・元ラグビー日本代表)
    2022年10月24日17時52分 投稿
    【解説】

    コロナをめぐる論考はたくさん読みましたが、この記事は本質を鋭く突いていると私は思います。結びにある「単純な二項対立を持ち込まない努力」こそ、いまの私たちに求められていることです。 正邪や善悪の二項対立では割り切れないことを抱えながら私

    …続きを読む