第3回マーラー「巨人」の冒頭、響いた携帯音 井上道義はとっさに転倒した

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 今の世の中で人気になるのは3分くらいの短くてわかりやすい音楽ばかりだけど、本当に面白い世界って、多少わかりづらいものじゃないかと思うんです。だからこそ、少し分かりはじめると、発見するのが面白くなってくる。人間もそう。本当に面白い人は多少とっつきにくそうな感じで現れるもんでしょ。ショスタコービチが僕にとってはそういう人でした。

 ソ連崩壊の後、彼自身の言葉についても何が本当で何がウソか、よくわからなくなった。当たり前だけど、世の中の「常識」が必ずしも正解とは限らない。スターリン政権下のショスタコービチが一体どんなやり方で己を貫いたのか、僕なりに考え始めた。約20人でショスタコービチ協会なるものを創設し、僕が会長で、音楽学者の一柳富美子さんが書記長に。作曲家の吉松隆さんや指揮者の大野和士さんも会員になりました。会報はガリ版で刷ってましたね。

指揮者・井上道義さんが半生を振り返る連載「一生、指揮者やってみた。」。全4回の3回目です。

 《1990年代、音楽監督を務めた京都市交響楽団とショスタコービチのシリーズ演奏に挑む》

 編成が大きくてお金がかかる。しかも長くて難解だって、当時はプログラムに入れるともう、誰も彼もから嫌がられたもんです。

 でも、ホントにみんな、嫌だと思ってるのかな。こんなに面白い音楽なのに。役人、業界人、いや全人類、勝手にそう思い込んでいるだけなんじゃないの? つまらん演奏を聴かされてきただけじゃないの? そんなことを胸の中でボヤきつつ、いざ練習を始めてみたら、奏者たちがどんどん覚醒し、聴衆も熱狂し、地元のテレビ局も放送してくれて、全国的な話題になった。うれしかったね。

 《2007年、サンクトペテルブルク交響楽団など6団体と、日比谷公会堂で交響曲の全曲演奏プロジェクトを敢行。10年後、そのライブ録音もリリースされた》

 「正しい」ことを疑う。自分の心で考え、好奇心を貫く。僕の生きる道はここにある。ショスタコービチはもう、僕自身なんです。

闘病、音楽は慰めにならないけど

 2014年1月、何となく喉(のど)に違和感を覚えました。病院に行っても何ともないと言われた。でも良くならず、2カ月してまた行ったら逆流性食道炎だと。そのうち、薬がうまく飲み込めなくなった。どう考えてもおかしい。「またですか」と言われたけどゴネて3回目の検査をしてもらった。

 《診断は咽頭(いんとう)が…

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