3月に死去した坂本龍一さんが雑誌「新潮」で昨年から今年初めまで連載した自伝「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」(新潮社)が21日に刊行された。緩和ケアの段階に入った後も、亡くなる2日前まで仕事を続けていたという坂本さん。連載の聞き手を務めた編集者の鈴木正文さんが、その最後の姿を記した。あとがきでは、亡くなる2日前まで書かれた約2年間の日記の一部も載せられている。

鈴木正文さん「自分はそれほど長くないと」

 連載は、2009年刊行の坂本さんの自伝「音楽は自由にする」(新潮社)の続編として企画され、親交のある鈴木さんを聞き手にその後の人生を語った。当初は隔月での連載も想定されていたが、坂本さん側の意向もあり、ペースを速めて毎月連載になったという。その分、日程は過密になり、2日連続で3時間程度の取材をこなすこともあったという。

 鈴木さんは「この連載が始まったとき、自分はそれほど長くないと思っておられたのではないかと思う。これが終わるまでは頑張って生きるけど、あんまりのんびりもしていられないっていう気持ちはたぶん持っておられたと思う」と振り返る。

 「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」というタイトルは、坂本さんが音楽を手がけた映画「シェルタリング・スカイ」(1990年)の一節から引用した。

 映画では終盤に原作者のポール・ボウルズが登場し、こんな言葉が語られる。

 「人は自分の死を予知できず人生を尽きぬ泉だと思う。だがすべて物事は数回起こるか起こらないか。(中略)あと何回満月をながめるか。せいぜい20回。だが人は無限の機会があると思う」

 この映画の音楽を担当したとき、坂本さんは30代後半だった。連載の中で坂本さんは、当時は必ずしもこの言葉を我がこととして捉えていたわけではなかったと振り返っているが、2014年に中咽頭(いんとう)がんが見つかってから死を意識するようになり、この言葉をよく反芻(はんすう)するようになったという。

 20年6月には新たにがんが見つかり、その後転移も告げられた。

「幸宏、ごめんね。僕はもうちょっとがんばるから」

 連載や日記には、生や死を意識した言葉もみられる。21年5月12日の日記で坂本さんは「かつては、人が生まれると周りの人は笑い、人が死ぬと周りの人は泣いたものだ。未来にはますます命と存在が軽んじられるだろう。命はますます操作の対象となろう。そんな世界を見ずに死ぬのは幸せなことだ」と記している。

 昨年、連載と同時並行で取り組…

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