拡大する写真・図版映画館に貼られた、長編新作映画「君たちはどう生きるか」のポスター=2023年7月14日、東京都新宿区、吉田耕一郎撮影

哲学者・谷川嘉浩さん寄稿

 宮崎駿による10年ぶりの長編映画「君たちはどう生きるか」が7月14日に公開された。宮崎による引退宣言後に作られた作品というだけでなく、鷺(サギ)の描かれたキービジュアルの他には情報公開を事前に一切しないまま公開当日を迎えたことで話題を呼んだ。出演者、主題歌、ストーリー、時代設定、キャッチコピーなど、何も明らかにされていないし、プロモーションビデオなども公開されなかった。

 しかし、何の情報も提供されなかったわけではない。プロデューサーの鈴木敏夫は、「何も情報は事前に明かさない」という情報を繰り返し発信している。直近だと、6月16日発売の『スタジオジブリ物語』(集英社新書)で、やはり内容には一切言及しないまま、制作背景などを語っているし、7月7日発売の『歳月』(岩波書店)で、これまで通りの宣伝方式をやめる経緯について語っている。また、7月6日配信のNHKの取材「謎に包まれたジブリの新作 鈴木敏夫Pに聞いた!」では、製作委員会という方式をやめて、映画の宣伝状況を変えたかったと述べている。

 食事を持ち寄る会食パーティーをイメージするとわかりやすい。パーティーで目立ちたい人は、手土産にきらびやかな装飾をつけたり、手土産について大声で語ったり配り歩いたりして、持参した手土産がいかに魅力的かをアピールしようとするはずだ。そんな人たちに囲まれながら、鈴木は「開かない箱」をドンと机上に置いて、時が来るまで開けないのだと宣言した。彼は、箱の中身は明らかにしないまま、箱そのものについては何度も語る。そんなことをされたら、「え? 何?」と思わずにはいられないはずだ。

 「開かない箱」を見せられたとき、人は箱の中身が見たくてたまらなくなる。これまで話題作を連発してきたジブリが用意した箱となれば、気にならないはずがない。中身を知りたい、覗(のぞ)き込みたいと願うのは、鍵の開いた箱でも、透明の箱でも、どこにでもありそうな箱でもない。人が惹(ひ)きつけられるのは、中身のわからない、開かない、名工に作られた箱だ。

 鈴木は注目を集めようとして、箱を開けなかったわけではないのだろう。だが結果として、「君たちはどう生きるか」は、「開かない箱」として最高の条件が揃(そろ)っていた。鈴木も宮崎も、その一挙手一投足を注目される人物だからだ。

 以下では、「開かない箱」という視点から、(可能な限りネタバレを避けながら)本作について分析していくことにしたい。

投稿・花・本から推理 ヒント組み合わせ

 「開かない箱」という謎に絡めとられたとき、人は断片的な情報を寄せ集めて、何とか中身を推測しようとし始める。目の前に埋められない空白があると落ち着かなくなるからだ。

 たとえば、木村拓哉のファンは、彼がInstagramのアカウントで「久し振りにお会いする監督」のところで「とある作業へと向かいます」と2022年12月1日に投稿していることに注目し、ジブリ新作出演の示唆ではないかと推測している(彼は「ハウルの動く城」で声優として出演していた)。

 また、菅田将暉が2月14日に武道館で行ったライブには、宮崎と鈴木の祝い花が、米津玄師が6月28日に横浜アリーナで行ったライブにも、両者連名の花が並んでいたとされ、ファンたちは、これがジブリの新作に関係していると予測していた。

 ついでながら、鈴木敏夫の『歳月』にはあいみょんの名前が登場し、若手ミュージシャンの匂わせとも受け止められることが続いており、彼女の出演も噂(うわさ)されていた。

 いずれもかなり飛躍のある推理だが、謎解きゲームがそうであるように、想像を伴う謎解きには、常にジャンプが必要とされる。ちなみにこれらの推理は、結果的に当たっていた。

 だが、ここで重要なのは推理の当たりはずれではない。何の事前情報もない状態だからこそ、出演者や周辺からの間接的なヒントを組み合わせ、映画に関する情報を一部のファンが過剰な熱心さで想像し、読み解こうとしていたことだ。

 「開かない箱」は、読み解こう、謎を解決しようという思いに火をつける。箱に対する注目を集めさえすれば、そこに何があるのか、どうしても理解したい気にさせてしまう。

 たまたまこうした好奇心を誘う条件が揃っていただけで、鈴木がすべてを「仕掛け」ていたわけではないだろう。それでも、この情報秘匿が生み出した謎解き的な好奇心を喚起する状況は、結果として、うまく「仕掛け」られた宣伝の手法を思わせるものがある。

 ここで念頭に置いているのは、2007年から2008年にかけて行われた、映画「ダークナイト」の参加型広告、「Why So Serious?」だ。

 何千ものアカウントに身に覚え…

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