第2回松本白鸚、ハワイの空港でなくしたテープ 俳優人生の分かれ道

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聞き手・増田愛子
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 《当時、歌舞伎の興行は松竹がほぼ独占していた。それだけに、八代目松本幸四郎親子の東宝入りは、大きく報じられる》

 早稲田の試験会場がざわついてきたので、僕は試験監督に「いま、下で話をしてきますから、始めていて下さい」と言って会場を出て、15分ほどで戻りました。外国語の時間で、皆さんは英語、僕だけフランス語だったので迷惑をかけずにすみました。よく合格したと思います。

 《東宝時代、八代目幸四郎は鶴屋南北作品の通し上演や新作にも取り組んだ》

 おやじは、後に、こんな言葉をポロッと漏らしたことがあります。「僕はね、文楽と共演したのも義太夫を勉強したいためだったし、東宝に行った時も、新しい歌舞伎を勉強したいという地味な考えからだった。それを皆さん、ジャーナリスティックに取り上げる……」と。父は10年ほどして、東宝を離れ、松竹に戻りました。その時、「何も変わっていない」と言ったのを、覚えています。

歌舞伎俳優・松本白鸚さんが半生を振り返る連載「『真実』を探し求めて」。全3回の2回目です。

 《当時、東宝の演劇担当の重…

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この記事を書いた人
増田愛子
文化部|演劇担当
専門・関心分野
歌舞伎、文楽、海外の演劇、公共劇場