第2回精神科病院へ就職 信田さよ子はアルコール依存症患者に鍛えられた
1965年にお茶の水女子大学哲学科に入学しました。同級生は9人。華やかな雰囲気でした。授業をサボることが当たり前の時代で毎日寝坊していた。お昼ごろ登校し、学生食堂で定食を二つ食べ、教室をのぞく。夜は友達と新宿の喫茶店、風月堂に入り浸っていましたね。
カウンセラー・信田さよ子さんが半生を振り返る連載「心理職を拓(ひら)く」。全4回の2回目です。(2023年11月に「語る 人生の贈りもの」として掲載した記事を再構成して配信しました)
《サークル活動が、カウンセラーになるきっかけだった》
婦人問題研究会、部落問題研究会などに参加しましたが、一番熱心だったのはBBS運動(Big Brothers and Sisters Movement)のサークル。非行少年や若者の社会復帰と更生を目的とした活動で、当時米国で盛んでした。
私は、家庭裁判所の保護観察処分を受けた女子高校生と交流するボランティアをしました。ヤクザの愛人だった女の子です。私の知らない世界を見てきた彼女に気に入られたかったんでしょう。勉強を教えたり、映画を見に行ったりした。サークルではそれぞれの交流の話を持ち寄り、東大駒場キャンパスの学生会館で少年法の改正についても議論しました。その頃、カウンセラーという仕事に関心を持ち始めたと思います。
《学園紛争が盛んだった》
沖縄返還、ベトナム戦争、日韓基本条約などをめぐるデモによく参加していました。都内の公園や都心の道路はほとんどデモで覚えました。機動隊や他の学生を観察するのが面白かった。飛んできた石が頭にあたり、流血したことも。
でも、みんなみたいに熱狂できなかったし、怒りも湧かなかった。ずるいと言われるかもしれないけど、自由が奪われる気がして組織にも加わらなかった。ある日、東大生の先輩に「なぜ私たちがベトナム戦争に反対しないといけないの」と聞いたら、びっくりされました。当時はそれがコンプレックスでしたが、カウンセリングをしたり本を書いたりする今となっては、一歩引いた視点が大切だったと思います。
心理劇の研修会 先駆的な恩師
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