2歳で被爆した私 70歳を過ぎて語った自分のこと、母のこと

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武井三聡子
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 広島市出身の詩人・エッセイストの山中茉莉さん(80)=本名・坂下紀子、埼玉県在住=がこの夏、自伝「ピースガーデン~継承の庭~」を出版した。被爆者として育ち、物書きになり、70歳を過ぎて被爆証言を始めた――。半生をつづる中でこだわったのは「幼児被爆者」としての視点だった。

 山中さんは2歳だった1945年8月6日、広島市中広町(現・西区)で被爆した。火に包まれた自宅から家族と逃げるとき、がれきの下から近所の女性の叫びが聞こえた。「苦しいよー、出してつかあさいや」

 《母はオロオロするだけで、何もできないでいると、あちこちで泣き声が「ギャーッ」という悲鳴に変わっていきました》

 本でこう描写したが、ここは母や伯母、祖母から聞いた話を元にしている。山中さんは覚えていないからだ。自身の記憶に基づく記述は、本の前半3分の1ほどから始まる。

 小学校で最初の運動会の前、山中さんは両足首に残るケロイド状の茶色い傷痕について父に尋ねた。「どうして消えんのかね?」

 すると、父は慌てた様子で正座し、言った。

同い年の佐々木禎子さん

 《「紀子、そのキッポ(広島…

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