第3回事業傾いた責任、殿「故郷も雇用も失わせた」 三の丸も仮差し押さえ
編集委員・大月規義
株価が戦後の最高値を更新し続けた1989年3月、福島県相馬市に、シイタケ栽培の会社ができた。
「九星(きゅうせい)産業」。社長は旧奥州中村藩(相馬藩)の藩主家33代、相馬和胤(かずたね)(83)。行胤(みちたね)(49)の父だ。社名は相馬藩の家紋「九曜(くよう)」(九つの星)に由来する。
北海道で牧場を営んでいた和胤は、バブル経済下に事業を多角化したカネボウグループから、シイタケの菌糸を提供するので栽培事業をしないかと持ちかけられた。応じた和胤。ため池が多い相馬市なら栽培に必要な水が得やすいと考えた。
バブルがはじけ、カネボウは2004年、長年の赤字を隠していたことが明るみに出るなどし、経営破綻(はたん)した。信用調査会社によると、九星産業は、カネボウからの設備賃貸料が入ってこなくなった。さらに地下水をくみ上げるポンプの故障が長引き、経営が傾く。08年4月に行胤が社長を継いだときには、回復が難しい状況にあった。
社員は50人弱。そのなかに…