北野新太
もし生まれ変わったら何になりたいか。
名人・藤井聡太は「もう一度、棋士に」とは答えていない。
なりたいものは決まっている。電車運転士である。
5歳で将棋を覚える前から鉄道に夢中だった。
自宅でプラレールの線路をつなげて大喜びしたり、実際に電車の先頭車両に乗って運転士の気分になったり。
かつて、母方の祖母・清水育子さんは朝日新聞連載「大志 藤井聡太のいる時代」の取材で語ってくれた。
「小さい頃、よく近所の踏切で1時間ぐらい抱っこをして電車を見せていました。帰ろうとすると嫌がるんです。重くて大変でしたね」
将棋という夢を追う過程において、普通の少年よりも鉄路で過ごす時間は長くなった。小学4年で棋士養成機関「奨励会」入会。月2回は愛知県瀬戸市の自宅から私鉄や新幹線を乗り継ぎ、大阪市の関西将棋会館へ。片道約2時間20分の旅だった。中学2年で棋士になってからは、公式戦を指すために東京や大阪へ。ほぼ全てが遠征になった。
勝ち続けるほど、多忙を極めていく日々を送る中で、仕事ではなく趣味の「各駅停車の旅」は何よりの休息時間になった。
「いつもと違う所に違う電車で行くと、新たな発見があって面白いです。東京での対局の後、中央線に乗って長野経由で愛知に帰ったこともあります」
既に時代の寵児(ちょうじ)となっていた2018年、山梨・長野両県に友人と2人で出掛けた。JR小海線の観光列車「HIGH RAIL 1375」(ハイレール)に乗るための道行き。あの「青春18きっぷ」で小淵沢駅(山梨県北杜市)に向かい、ハイレールで佐久平駅(長野県佐久市)へ。「高原地帯なので、景色が良くて楽しめました」。その後は北陸新幹線で長野駅を経由し、やはり各駅停車で愛知県に戻った。全行程約14時間。日帰りの旅だった。
昨年6月、史上最年少の名人となった翌日、北陸新幹線に同乗した。記者は名人戦主催紙の担当者として隣席に座り、様々な話を聞いたが、やはりと言うべきか、途中でふと話題になったのは、まさしく北陸新幹線の新型車両「E7系」について、だった。
前夜、激闘を終え、夢にたどり着いたばかりの青年は、乗車中の車両の構造がいかに画期的なものかを、穏やかな微笑とともに優しく教えてくれた。自らの知識を誇るでも、相手の無知を責めるでもなく。語ることを小さな喜びとして。
3月下旬、名人戦に向けたインタビューの終盤、ふと鉄道について単純なことを尋ねてみたくなった。
そもそも、なぜ鉄道にひかれるのでしょうか、と。
藤井は笑顔のまま少考し「なぜ…