政治学者・東島雅昌さん寄稿
4月28日におこなわれた衆議院補欠選挙は、島根1区・東京15区・長崎3区の三つの選挙区すべてで、野党第1党の立憲民主党が議席を獲得した。補選はその後の政権運営を占う「観測気球」として働くとも言われる。政治資金問題などで低支持率に苦しむ岸田文雄政権は、1年半以内には確実にある衆院選をいかに実施すべきか、慎重に見極めることになるだろう。
「選挙」と聞いて私たちが想起するのは、まずは自分が選挙にいくべきかどうかという問題だろう。有権者全体に広げると、投票率の問題になる。人によっては、投票率が低迷する近年の事態を憂慮し、どうすれば投票率を上げられるのか、打開策の一つでも考えたくなるかもしれない。
選挙には行くとして、どの政党や候補者に票を投じるべきかという問題もある。各政党・候補者がどれくらい票を獲得したのか、それは誰が政権を担うのかに決定的な影響を与える。
いずれにせよ、私たちが選挙に参加し、そこで何らかの選択をするという営みが、この国の行方に大きな影響を与えるのは間違いない。
ただ、ここで一つの疑問が浮かぶ。そもそも投票に行くかどうか、どの政党・候補者に投票するかを、私たちはどうやって決めているのだろう。それ自体、為政者の「操作」で左右されていることはないのだろうか。そして、もしそうであれば、私たちはどうすればいいのだろうか。
独裁体制の政治を研究するわけ
筆者は政治学を研究している。なかでも、権威主義体制(独裁体制)といわれる、選挙にさまざまな問題が生じているために、選挙で為政者を代えることのできない国々の政治を、比較の視点から観察、分析してきた。なぜ筆者は独裁政治に興味をもったのか。そこには沖縄にルーツを持つということも、少し関係しているかもしれない。
筆者の祖父母は戦前、大日本帝国にとって「周縁」といえる沖縄や朝鮮半島で、抑圧的体制が主導した戦争を、痛みをもって経験した。別の言い方をすれば、時の権力者が選択した開戦によって、運命が大きく翻弄(ほんろう)された。
1982年生まれの私にとって、日本は理不尽なかたちで突然、人生が権力者に翻弄されるということはない国である。だが、半世紀前の日本はそうではなかった。わずか3世代の間に、同じ国がまったく「異なる世界」に見えるのはなぜか。裏を返せば、国はどうやってその姿を変えていくのか。そこを知りたいと思った。
でも、どうすればいいか。試…
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