阿部育子、川野由起
拡大する子どもの頃の飯塚淳子さん(手前)=飯塚さん提供(画像の一部を加工しています)
イチゴやハーブの植木を育て、草むしりをし、ニュースを欠かさず見る。
宮城県の飯塚淳子さん(活動名、70代)はいま、そんな静かな日々を送る。
県内の海沿いの町に、7人きょうだいの長女として生まれた。苦しい生活を、働き者の母が支えた。
中学生のとき、民生委員に身に覚えのない窃盗の疑いをかけられた。「知的障害がある」とされ、知的障害児施設に入所させられた。
県内では当時、優生思想を広めるため「愛の10万人県民運動」が繰り広げられていた。施設も募金活動で設立された。
その後、施設から出て、住み込みの手伝いとして「職親」に預けられたが、そこで虐待を受けた。
16歳のとき、その職親から何の説明もなく、診療所へ連れて行かれた。麻酔の注射をうたれ、目が覚めたらベッドの上にいた。おなかがズキズキと痛んだことを覚えている。自宅に戻ってから、両親が「子どもを産めない手術をされた」と話すのを耳にした。
「知った瞬間から、苦しみが始まった」。飯塚さんはそう振り返る。
結婚したが、長く続かなかった…