「刑事の死」に隠された無数の「警官の死」を撮りたい 丸田祥三さん

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聞き手・中島鉄郎
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 電車やバス、道路や橋に建物。人間が利用し、過去に置いてきたものには、それと共に生きた人々の痕跡が残る、と写真家の丸田祥三さんは考える。少年時代に見たボロボロの新幹線0系の車両が、そう教えてくれた。

「この新幹線は私です」

 私は1964年9月に生まれたので、この10月に開業60周年を迎えた新幹線とは「同学年」になります。

 小学生の頃から鉄道好きで写真を撮っていました。

 93年のデビュー写真集「棄景」は、70~90年代にかけて撮った写真を収録し、中でも目玉は、塗装が細かくひび割れ、はがれかけたボロボロの初代新幹線0系でした。これは87年に、東京都国分寺市の旧中央鉄道学園の跡地にあった新幹線車両です。

 個展を開いたとき、中年の男性がこの写真を「これは私ですね」と話しかけてきました。新幹線の乗務員だった元国鉄マンで、こう言うのです。「新幹線は誇りで生きがいだった。分割民営化で悩んだが、前向きになってJRで働くと決めた。でもオレンジカード販売などの営業は苦手で辞めてしまった」。見た目は紳士風でしたが、疲弊した新幹線の姿に、苦しかった自分の後半生を重ね、心情移入しているようでした。

 「棄景」シリーズのそれ以後の作品にも時折、「自分の人生そのもの」という感想をもらいました。

 「なぜそんなに暗く撮るのか」と、当時よく批判されましたが、私は時代が明るい未来へ進む中で、疲弊し、こぼれ落ちていった人たち、人知れず消えていった人たちの生きた証しを、その「存在証明」を、廃虚や廃棄寸前の車両に写し取りたいと思っていました。

切なすぎる「つなぎの死」

 昔の刑事ドラマが好きだった私は、こんな自分の志向に「刑事の死より警官の死を」という自分だけの符丁をつけていました。

 74年8月に放映された「太…

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