第10回ハムカツの触感に近づけた代物 島根の赤てん、戦後しのいだピリ辛味

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 島根県の飲食店で名物を食べたいと頼むと、多くの店はこう答える。「赤てんがお薦めです」。戦後の食糧難をきっかけに、同県浜田市の1軒のかまぼこ店で生まれた「赤色の天ぷら」だ。

 同市高田町の山本蒲鉾(かまぼこ)店は、山本智文さん(56)、千鶴さん(46)夫妻が切り盛りしている。昔からの赤てんの製法を守り、手作りにこだわる。製造工場に入って目を引くのが、直径90センチほどの二つの石臼。2本の棒がついた練り機で、魚のすり身を練り、最後に唐辛子を加える。

 智文さんが練り込まれたすり身を一つずつ手のひらサイズの長方形にし、隣で千鶴さんがパン粉をまぶして油で揚げると、天ぷらのいい香りが広がった。

 山本蒲鉾店の創業は1893(明治26)年。戦後、食糧難の深刻さが増したとき、智文さんの祖父の四一(しいち)さん(故人)が得意先から、「ハムカツのような商品を作ってほしい」と依頼されたという。

 戦後まもない頃の家庭では、ハムカツは手の届かない高級品。四一さんが代用として考案したのが、魚のすり身で触感を似せたものだった。大人が楽しめるようにと唐辛子を加え、ピリ辛の独特な練り物に仕上げた。見た目も似せるため、着色料で赤色っぽくした。当初の商品名は「フライ天」。のちの赤てんの誕生だった。

 漁港のまちである浜田は、練…

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この記事を書いた人
高田純一
浜田支局長
専門・関心分野
街ダネ、地域発の話題です。
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