帰国子女じゃなくてもできた!バイリンガル子育てのすすめ

日本育ちの娘たちを全額奨学金で米国名門大学へ 《第1回》子どもたちを英語の世界につなぎたい

2024.11.13

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加藤暁子
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東京・新宿の老舗レストランオーナー加藤暁子さんは、日本生まれ・日本育ちの娘2人を幼いころから日本語・英語のバイリンガルに育てました。そして、2人は日本の中学・高校を経て、授業料と寮費の全額が返済不要の奨学金を得て、米国の名門大学に進学を果たしました。「子どもをバイリンガルに育てたい」「グローバルに活躍できる人材にしたい」とお考えの保護者の皆さんに、加藤さんが自ら、子どもたちと経験してきたことや子育てのさまざまな工夫やノウハウをつづりました。5回にわたってお伝えする、今回はその第1回です。

なぜ、私は子どもをバイリンガルに育てる決意をしたか?

日本で生まれ育った長女(左)と次女=加藤さん提供
日本で生まれ育った長女(左)と次女=加藤さん提供

「ママ、バイリンガルに育ててくれたことにほんとうに感謝してる!」

最近、2人の娘たちからそう言われます。

「小さなときからいつも『英語が話せるんだね』って、うらやましがられてきたし、アメリカの大学に留学してもネイティブだと言われる。帰国子女でもない、富裕層の出身でもないことに、ほんとうにいつもびっくりされるんだよ。ママたちの努力や創意工夫のおかげだってわかってる。ほんとうにありがとう!」と――。

「子どもたちをバイリンガルに育てる!」

私がそう決意したのは、長女が生まれたときでした。私は祖父母の代からロシア・ウクライナ料理のレストランを経営する家庭で育ちましたが、英語など外国語が身近だったわけではありません。大学生になるまで、海外に行ったこともありませんでした。

そんな私が「なんとしても子どもをバイリンガルに育てたい」と思ったのは、学生時代のくやしい経験があったからです。

1988年、私は玉川大学を卒業後、アルバイトでためた200万円を持って、ニューヨークへの憧れだけでアメリカに渡りました。ニューヨーク大学(NYU)付属の英語クラスを受けながら、新設されたばかりで定員に満たなかったホスピタリティー・マネジメントの学部を見つけ、運よく9月から大学院生活を始めました。

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