〈近所のケヤキの木などに、モズがキーッ、キーッと鋭い鳴き声をひびかせるようになると、秋が深まってきたなという感じがする。少なくとも、十年ほど前まではそうだった〉
評論家の山本健吉(1907~88)が『ことばの歳時記』(文藝春秋)で、そう嘆いたのは昭和40(1965)年だった。
〈だが、武蔵野の面影をこの一本に残しているといった感じの大樹も、近ごろは遠慮会釈もなく伐り倒されてしまう。ねぐらを奪われたモズたちは、どこへ行ったのか〉
それから間もなく60年、東京近郊の我が散歩コースには今もモズが住んでいる。
ただ、夏の間は涼しい高原に移動する。子育てを終えたモズの夫婦を最後に確認したのは5月28日。そして9月30日、しばらく見かけなかったモズに久々に出会った。
約4カ月の避暑の旅からの帰還ということになる。自由に空を飛べる翼がちょっぴり、いや大いにうらやましい。
それにしても、今年の夏は過酷だった。暑すぎたし、長すぎた。僕はパーキンソン病になってから、自律神経症状で暑さに極端に弱くなった。リハビリを兼ねて、カメラを持って散歩に出かけようにも、早朝から気温が高すぎる。熱中症の危険もあり、思うように出歩けない日々が続いた。
体調も崩れがちだった。9月2日夜、妻の外出中にトイレの便座から立ち上がれなくなった。床に張り付いた両足を引きはがすようにして何とか自力で脱出するまで1時間余、トイレに閉じ込められた。
夜中にベッドから降りられなくなることも増えた。妻が寝ている部屋に呼び出しブサーを置き、いざという時には助けに来てもらえるようにした。
その後、主治医に薬の調整をお願いし、症状は改善しているが、不安が付きまとう。
そうこうするうちに、ようやく空気に優しさが混じり始めた9月25日の朝、鳥たちの鳴き声が聞こえた。うるさいほどに。誘われるように、散歩に出た。
いた、いた。久々のシジュウカラの群れだ。翌26日には、美声で歌い交わすヒヨドリのカップルも。鳥たちが帰って来たんだ――。
1901年9月19日の正岡子規(1867~1902)の病床日記に、こんな記述がある。
〈長塚(節=歌人)より鴫(しぎ)三羽小包にて送る由の報来るその末に/昨今秋もようようけしき立ち申し候 百舌(もず)も鳴き出し候 椋(むく)どりもわたり申し候 蕎麦(そば)の花もそろそろ咲出し候 田の出来は申分なく秋蚕(あきご)も珍しき当たりに候/とあり田舎の趣見るが如し ちょっと往(いっ)て見たい〉
(『仰臥漫録』角川ソフィア文庫)
モズ、ムクドリなど小鳥たちの帰還に、俳人・歌人を含むかつての日本人がいかに敏感に秋を感じていたかが伝わってくる。
俳句の世界でモズは秋の季語とされ、その独特の姿が詠み継がれてきた。
▽小動物や昆虫などをエサとする完全な肉食。秋には、高い木の上でキーィキィキィキィという甲高い「高鳴き」をし、自らの縄張りを誇示する。
〈鵙(もず)啼(な)くや一番高い木のさきに〉子規
▽エサを見つけると急降下し、タカに似た鋭いクチバシで捕らえる。
〈御空より発止(はっし)と鵙や菊日和〉川端茅舎(1897~1941)
▽エサが乏しい時期に備え、捕らえたエサを尖った枝などに刺して備蓄する早贄(はやにえ)という珍しい習性をもつ。
〈鵙の贄罪ある者をさらすごと〉鈴木真砂女(1906~2003)
鶯(うぐいす)や時鳥(ほととぎす)ほど注目度は高くはないが、鵙も季題として一定の人気がある。地味ながら健闘しているといった感じだろうか。
そんなモズを身近な鳥たちのなかでポピュラーな存在に押し上げたのは、サトウハチロー(1903~73)が詞を書いた2つのうたである。
2つのうたはともに、明るさや楽しさとは程遠い。
戦前戦後を通じて多くの歌手に歌い継がれてきた「モズが枯木で」は、モズの鳴き声を「泣き声」ととらえた、哀(かな)しいうただ。
〈モズが枯木でないている/おいらはわらをたたいてる/わたひき車はおばあさん/コットン水車も廻(まわ)ってる
みんな去年と同じだよ/けれども足り無えものがある/兄さの薪わる音が無え/バッサリ薪わる音が無え
兄さは満州へ行っただよ/鉄砲が涙で光っただ/モズよ寒くも 泣くで無え/兄さはもっと寒いだぞ〉
もうひとつ、NHKの「みんなのうた」や、多くの学校教科書で取り上げられた「ちいさい秋見つけた」には、どこか謎めいた怖さがある。
〈誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた/ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた/めかくし鬼さん 手のなる方へ/すましたお耳に かすかにしみた/よんでる口笛 もずの声/ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 見つけた〉
(『サトウハチロー詩集』ハルキ文庫)
ウグイスに誰もが待ち望む春、ホトトギスには夏の華やかな印象が強いのに対し、モズが多くの人の目に触れるのは秋から冬にかけて。そのことが、モズにどこか暗く、はかないイメージをまとわせているのかもしれない。
そんなモズに、僕はなぜ惹(ひ)かれるのか。
前を見て、上を見て歩こう――。病を得て下を向きがちだった僕が、そう思うきっかけをつくってくれたのが、樹上や電線に止まって高所から縄張りを睥睨(へいげい)するモズだったからだ。
〈胸に抱く幸あたたかく小鳥来る〉富安風生(1885~1979)
「小鳥来る」は、モズなど鳥たちが平地に戻ってくることをさす秋の季語だ。
風生の句でいえば、実際に小鳥を胸に抱きとったのではない。今年もまた小鳥が戻って来てくれた――。そのうれしさに、胸があたたかくなったのだろう。
工藤直子さん(1935~)の詩にも、似た感覚がある。
「いのち」 けやきだいさく
〈わしの しんぞうは/たくさんの/ことりたちである/ふところに だいて/とても あたたかいのである/だから わしは/いつまでも/いきていくのである/だから わしは/いつまでも/いきていて よいのである〉
(『のはらうたⅠ』童話屋)
この詩集は、のはらを散歩していた工藤さんが、風や雲や動植物の言葉に耳を澄ませて書き留めたという体裁をとる。それぞれの作品に擬人化した架空の作者名がついており、ケヤキを擬人化したのが「けやきだいさく」君だ。
小鳥たちを育むケヤキなどの木々は、小鳥たちの存在によって生かされている。共に生きる、「共生」である。
同様に、人間は、小鳥や木々などを含む自然と共生している。言い換えれば、人間は鳥や木によって生かされているのだ。
冒頭の山本の嘆息に立ち返れば、「大樹を遠慮会釈なく伐り倒す」政治家や行政諸氏にこそ、けやきだいさく君の詩を味読してもらいたいものである。
◆次回は、11月20日(月)公開を予定しています。
文・写真 恵村順一郎
パーキンソン病は、脳の神経細胞が減少する病気です。ふるえや動作緩慢、筋肉のこわばりといった症状があり、便秘や不眠、うつなどがみられることもあります。連載では、ジャーナリスト恵村順一郎さんが、自らの病と向き合いながら、日々のくらしをつづります。
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