おとなりにいる相手の、ちゃんとしたことを何も知らない。それが築地市場について、あらためて記録を始めるきっかけになった。
朝日新聞の東京本社とは道路一本はさんで向かい合い、風向きの加減で潮のにおいがあたりに立ちこめる。8階の社員食堂の窓からは、市場の特徴的な扇形の建物がよく見える。日付が変わる頃には全国のトラックがひしめく。「築地の新聞社に行ってみたい」と言う相手は、たいがい「後でおいしい魚も食べたい」と考えている。
場外市場への観光バスには老若男女、マグロのせり見学に海外の旅行者が夢中になる背景には、世界に広がる和食人気がある。ただ、それだけで説明できない、人が魅せられる磁場を、歴史あるこの「まち」は持っている。
日本橋にあった魚河岸と、京橋にあった大根河岸が、それぞれ築地に引っ越してきて、開場が1935(昭和10)年だから2015年で80年。中央卸売市場としての責任は、一日の始まる朝に向けて品物を集め、時には引き受け、必要とする人の手に届くように荷を分けて、短時間でさばくこと。その繰り返しで首都の旺盛な食欲を満たしてきた。
朝を迎えた築地市場=福地享子撮影
野菜類がどっと入荷し、活気づくせり=1968年2月19日
生鮮食品は工業製品とは違う。どこかの畑が日照りに泣く夏も、どこかの海が時化(しけ)て船の出せない冬もあるが、卸売場は空っぽにできない。逆に、うれしいはずの豊作大漁で品物を持て余す時はしんどい。人とものとが出会い、情報を交換するのが市場。その複雑な世界に、なかで働く人も、まず驚き、戸惑うのだという。
築地発といえば、最高とか世界一といった惹句(じゃっく)があふれている。だが、本当のすごさは「アジ1匹でもいろいろな質と相応の価格から選べる多様性」だと教わった。
天然の魚であれば、いつ、どこの海で、どんな漁法で取って、どう運んだかで品質は変わる。
日本の魚がおいしいのは、自然の恵みと関わる人の総合力だ。目利きとは、その細かな差を区別する力だという。築地は目利きで稼ぐ集団。それで高級料理屋も普段着の居酒屋も、毎日それぞれのベターやベストを手に入れられる。
青果売り場の空気はいくぶん穏やか。カラフルな野菜を前に、シェフが料理談義をしていく。
一日の仕事を終え、灯が消え始める市場=福地享子撮影
街の魚屋さんに「きょうのおすすめ」を聞く買い物が少数派になって久しい。買い物は近所のスーパーマーケットという日常から、多種多様な魚の並ぶ築地の光景は遠く感じる。魚食民族と言われながらも数字には魚離れが現れている。その理由はどこにあるのか。築地を起点に、日本の漁業や世界の水産資源と食卓とのつながりが見えてくるかもしれない。
築地のページには、長い列島、世界から届く四季を盛り込んでいきます。好きなところから開いてください。(長沢美津子)