FIRE(経済的自立と早期リタイア)という概念が浸透し、多くの人が「自由」を求めるようになったことは良い事です。
そうしたFIREの関心が高まり、それに応える形でFIRE関連の情報発信も増えたわけですが、なかには「FIREを達成した」と語ることで私腹を肥やす不誠実なケースもあります。
今日はそうした「FIREを達成」というマーケティング行為について僕が感じていることを気ままに綴ってみようと思います。
FIREマーケティングで問題無いパターン
FIRE達成という情報発信やマーケティング行為も幾つかのパターンがあります。
そのなかで受け手からはお金を取らずに発信者が儲けることは何ら問題が無いと思います。
それは例えばアフィリエイトやブログなどです。
受け手は発信者に対して直接的な金銭負担をしているわけでもなく、有益な情報を得られるわけです(有益でなければ読まれないだけですし)。
その閲覧実績で第三者から広告費やパートナーシップ収益を発信者が稼ぐという構図は、受け手側にも発信者側にもWIN-WINとなる価値ある取引だと思います。
もちろん閲覧を稼ぐことを目的に炎上商法のようなものは望ましくありませんが、発信者も受け手もメリットがある(楽しめる等)ならば良いと思っています。
FIREマーケティングで問題と思うパターン
一方で、FIREという「自由」や「解放」といったポジティブなイメージを利用して、真実性に欠けた過剰なマーケティングをするのは問題があると思います。
例えば次のようなパターンです。
キラキラマーケティング
情報発信者が過剰に優雅な暮らしぶりを披露して「情報商材や有料コンサルを受ければこうしたキラキラしたFIRE生活ができる」といったようなFIREマーケティング。イージーマーケティング
誰でも簡単にFIREできるという過剰な宣伝によって情報商材や有料コンサルを販売しようとするマーケティング以上のような、FIREによる自由や解放に憧れたり渇望する受け手の欲求を刺激し、真実性に欠けたマーケティングを行うのはやはり問題だと思います。いわば詐欺まがいのものですね。
FIREマーケティングでグレーゾーンのパターン
更にはFIREマーケティングでもグレーゾーンというパターンがあります。
それは情報発信者が明らかに情報提供によって生計を支えているケースです。
情報の信憑性に疑問が生まれる
そもそも情報提供者が「FIREを実現した」と語りながらそのFIRE発信事業で生計を立てているのならばそこには矛盾があります。
そうした人が発信する情報は、そもそも「信憑性が本当にあるのか?」と疑問に思ってしまいます。
FIREをしていない
またFIREによる経済的自由を得ると「働かないのも、働くのも自由」といった選択肢を得られます。
それゆえ「FIREを達成した」と宣言をしながら、自分が働き続けなければ生活が成り立たない、いわば「働かない選択肢を選べない」のはFIREとは言えません。
ただし以上のケースでも、本人が会社を辞めてセミリタイアなりほぼフルタイム並みに働いていても本人がそれを精神的自由を強調して「FIREだ」というなら否定はしません。
僕はFIREの定義を比較的緩く捉えているからです。
終わりに
以上、僕が感じるFIREマーケティングの違和感は、FIREを達成したと称しながら、その語り自体が生活を支える手段になっている矛盾や、FIREの自由を過剰にキラキラさせて私腹を肥やすケースです。
それは自由(実は本当の自由ではないのですが)を語ることで他者の自由を搾取する不誠実さが根底にあるからです。
するとFIREが本来もっている「自由」という価値が毀損されるばかりか「自由の冒涜」とも感じてしまいます。
やはりFIREを達成し自由(意思)を得たなら、他者への誠実さや自分の理念に対する正直さも持ち合わせるのが良いと思っています。