コンサート雑感、今回は令和6(2024)年12月1日に聴きに行きました、コア・アプラウス2024コンサートのレビューです。
コア・アプラウスは以前からコンサートに足を運んでいる合唱団です。かつてはエキストラとしてフォーレのレクイエムを歌わせていただいたこともあります(2003年)。
昨年は予算や予定の関係などで足を運ぶことができませんでしたが、今年はようやく足を運ぶことが出来ました。曲目はシューベルトのミサ曲第6番と、クリスマス特集です。
2022年から、指揮が砂川稔さんから稲見理恵さんに変わっています。砂川さんは以前からかなり体調が良くなかったようですが、ついに今年鬼籍に入られたとのこと・・・ここに心よりご冥福をお祈り申し上げます。
その稲見さんですが、私が入っていた合唱団の合唱指導もされていたほどの方で、声楽家ですがどちらかと言えば指導者という印象のほうが強いです。砂川さんご存命の時は稲見さんがメゾあるいはソプラノとして舞台に立っておられましたが、その地位は他の方に譲られて、今年は指揮に専念となりました。シューベルトのミサ曲第6番もソリストが4パート5名必要な曲ですが、ソプラノは全く別のかたが担当されました。
①シューベルト ミサ曲第6番
シューベルトのミサ曲第6番は1826年に完成されましたが、シューベルトの生前に演奏されることはなかったとされています。初演は1829年、シューベルトの兄フェルディナント・シューベルトの指揮でした。
私にとってこのミサ曲第6番は、初めて聴いたシューベルトのミサ曲です。以前このブログでも取り上げております。
ウィキペディアでは「ベートーヴェン的」という記述がありますが、それは私のエントリで言う「ロマン派以降のミサ曲の形式を決定づけた」という点に相当するのです。ベートーヴェンはミサ曲を幾つかに分けることなく、それぞれの曲においてひとまとまりにしました。その路線をシューベルトはしっかりと受け継ぐことで、ロマン派以降の様式を決定づけたと言えるわけなのです。その萌芽はすでにモーツァルトでも存在していましたが、決定づけたのはシューベルトと言ってもいいでしょう。ベートーヴェンが明確にした様式を路線として継承したのがシューベルトであったわけで、以降の作曲家がモーツァルトの初期作品やハイドンあたりの様式に戻ることはほとんどありませんでした。
そうなると、この曲はロマン派として歌う必要があるわけで、しかもシューベルトです。歌謡性を存分に意識した歌唱が必要になります。たっぷりと感情を込めることも必要になります。その点で、合唱団もソリストも素晴らしい!特にソプラノ・ソロの青木さんは繊細かつ力強い歌唱で彩を加えていました。この辺りはソリストでもある稲見先生の解釈を反映できる歌手を選んだのかなという感じがします。
このシューベルトのミサ曲第6番は、繊細さと力強さの両方が求められる曲で、言うなれば表現力が問われる作品でもあります。そのあたりを存分にできていたのはさすがコア・アプラウスと稲見先生の指導力だなあと思います。そして今回、合唱団は客席ではなく舞台に降りてきました。これもまた素晴らしい効果だったと思います。なかなか選択としては難しいとは思いますが、やはり舞台に降りて来ることでオーケストラやソリストと一体になりますので、表現がまとまります。オーケストラも弦楽器の数が少ない室内オーケストラ編成ですし、舞台で一緒に歌うほうがいいので適切だったと言えます。こういうところも、世代交代のすばらしさだと思います。
②「異郷の鐘を聞きながら・・・」
後半は、「異郷の鐘を聞きながら・・・」と題して、クリスマスに関する曲が演奏されました。演奏されたのは以下の通り。
1.うるわしの白百合(讃美歌496番)
2.アヴェ・ヴェルム・コルプス(モーツァルト)
3.主よ、人の望みの喜びよ(バッハ)
4.ハレルヤ(ヘンデル)
5.オーホーリーナイト(アダン)
まさにクリスマスソングと言った感じです。特に「うるわしの白百合」と「オーホーリーナイト」は聴いたことがあるという人も多いのではないでしょうか。とはいえ、一部クリスマスとは言えない曲も含まれています。これは、恐らくですが亡くなられた砂川稔さんが留学した時の記録を基にしているからだと思われます。特に3.の「主よ、人の望みの喜びよ」はそもそもはヨハン・セバスティアン・バッハが1723年に作曲した教会カンタータ第147番「心と口と行いと生活で」BWV147に採用されたコラールで、主の母マリア訪問の祝日用です。
ではなぜそのような曲が入っているのかと考えるとき、一つは西洋音楽の基礎は教会音楽だったと点があげられるでしょう。特に砂川さんはこのコア・アプラウスのコンサートにおいては、宗教曲を取り上げることをモットーとされていたと、長らく参加していた友人から聞き及んでおります。その振り返り、そして継承という意味が、後半のプログラムには込められていたと感じます。また、鎮魂という意味もあるのでは?と思います。例えば、1.の「うるわしの白百合」は、讃美歌ですが薬師丸ひろ子さんによってアドリブでNHK朝の連続テレビ小説「エール」の中で歌われた曲でもあります。豊橋空襲によって家が焼け落ち、そして終戦を迎えたその日に歌われるのがこの「うるわしの白百合」です。先日NHKで放映された「連続テレビ小説名場面集」でも多くの支持を集めたのが「エール」において薬師丸ひろ子さんが歌われるこのシーンでした。
実は、砂川さんはちょうど終戦を迎えた時は軍国少年だったと振り返られています。そしてその後聴いた讃美歌の美しさに、音楽の道を志した・・・その様子はまさに、薬師丸ひろ子さんが「エール」の中で「うるわしの白百合」を歌われる部分に重なったのではないかと、個人的には思います。
この後半においては、砂川さんの記述と思われるものを朗読したうえで、それぞれの音楽が演奏される形式を取っていました。まさに「うるわしの白百合」は知っている人であれば「エール」の該当シーンを思い出すかのような構成でした。かなり工夫して来たなと思います。今回は監修にフレンドリー・アドヴァイザーとして汐澤安彦さんが加わっており、稲見さんがベートーヴェンの第九でソリストを務めた時の指揮者でもあります。その汐澤さんの助言ではないかと想像します。いずれにしてもいい構成で、舞台にはクリスマスツリーもあって、いい雰囲気の中で演奏が行われたと思います。
合唱団ものびのびと歌っているのが印象的で、前半のシューベルトも合わせて、実に表現力のある演奏を聴くことが出来ました。勢いだけで歌うのではなく力強くノビノビと生命力がある演奏。ソリスト・稲見里恵が指揮すればこんな演奏になるのだ!と言わんばかりです。砂川さんも元々はバリトン歌手。同じ様にメゾ・ソプラノである稲見さんが指揮をするという形になって、声楽家が指揮をするということの意義を見せられたように思います。まるでホールの杉並公会堂がカテドラルのような、上から包み込むような音が底にありました。やはりクリスマスソングというものはそういう雰囲気で歌われるほうがいいと思います。仏教であっても、その読経はできれば折り上げ格天井のある響きがあるところで唱えられるといい雰囲気であるのと同様に、やはり聖堂の雰囲気があるような場所でクリスマスソングなどは歌われるほうが適切だと思います。クリスマスは、日本で言えばお正月ですから。もともと宗教行事ですので・・・
次回は2026年と2025年と二つプログラムには記述がありますが、バッハのロ短調ミサであることを考えると2026年なのではないかと思われます。稲見さんの指揮による「ロ短調ミサ」がどんなものになるのか、次をワクワクして待ちたいと思います。
聴いて来たコンサート
コア・アプラウス2024コンサート
フランツ・シューベルト作曲
ミサ曲第6番変ホ長調D950
讃美歌第496番「うるわしの白百合」
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作曲
アヴェ・ヴェルム・コルプス K.618
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
カンタータ第147番「心と口と行いと生活で」BWV147より「主よ、人の望みの喜びよ」
ゲオルグ・フリードリヒ・ヘンデル作曲
オラトリオ「メサイア」より「ハレルヤ」
アドルフ・アダン作曲
オーホーリーナイト(さやかに星はきらめき)
青木雪子(ソプラノ)
牧野真由美(アルト)
青柳素晴(テノール)
山下浩司(バス)
蔀英治(語り)
山崎裕視(語り原稿)
汐澤安彦(フレンドリーアドヴァイザー)
稲見里恵指揮
東京シンフォニックアンサンブル
コア・アプラウス
令和6(2024)年12月1日、東京、杉並、杉並公会堂大ホール
地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。