週刊モモ

週刊とかあまりにも無理だった

2024年本のはなしばかりがしたいよ

 

 

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今年は頑張って読んだ本を数えてみた。まあまだ今年終わってないけど、来年になったら更新するのがめんどくさくなりそうなので。。。

 

漫画は入れてない。画集や図録も入れてない。というか数えてないが正しいか…。

とりあえず小説エッセイ短歌社会学哲学…?などでしょうか。そう考えると区分がふわふわしているので多分正しい数ではないし、読んだけどメモし忘れているやつなどもあると思う。まあいいか。

 

文芸誌以外は多分なんとなく読んだ順番です(1月~12月)。

再読のものもいくつかある。

 

 

単行本

 

文芸誌とか

 

 

考えていること

*ハン・ガンの本を読みたいけど図書館は40人待ちとかなので(そりゃそうだ)買ったほうがいいか?

 

*アンソニーホロヴィッツの続きをずっと積読している…。あーーー、、、。お父さんが読み終わったら全部くれるんだよね、親に甘えて…私ってやつは…。

 

*わたしは街とその不確かな壁をいつになったら読むんだ?もういっかい世界の終わりとハードボイルドワンダーランド読んでからにしよっかな、、と思っているから腰が重いんだよな。

結構村上春樹批判ってちょこちょこTwitterで流れてきますし、言いたいことはわかるけど、わたしは村上春樹すきです。否定的な意見も自分のなかに落とし込んでいくこともある気もする(あと比喩表現にうんざりしてしまう瞬間があったり)が、多分これからも基本的には好きな作家だと思う。風の歌を聴けがほんとにすきだからかな。

 

*沖縄の生活史がよみたい。東京の生活史を読み終えるのに1年くらいかかったのと、値段が高いので買おうとなかなかなれない(まず安いものから買おう…となるため)。図書館で一年間も借りられないですし。

でも読みたい。北海道の生活史もはじまったみたいですね。。。

 

*仕事の関係で↑のほかに新書を何冊か読んだけど、マジ、新書、普段読まないから全然読めねえ~!!って思った。

 

*わたしは性格が悪いので、くどうれいんさんのことがあまり好きになれない…。読んでだんだん確かめていった感じ…。すまん。小原晩さんは好きです。

 

*そして金城一紀の新作…。もう出ないと思ってた。新刊に備えてゾンビーズシリーズを読み直しました。これはまた別の記事で書こうかな(気持ちがあれば)

 

*好きだった本はいろいろある。いままでのブログで言及しているからものすごく好きだった、というわけでもない。書いてないけど好きだったものもある。あんまり好きじゃなかった本もある。

 

*漫画もちょこちょこ買ってます。特に大友克洋全集は相変わらず頑張って買っている。AKIRAのセル画集が9,900円って言われたときは結構泣きそうでした。

 

MONKEY久しぶりに買ったんだけど、前に「オール女子フットボールチーム」に劇的な出会いをした〈ここにいいものがある。〉のつづきというかなんというか…の〈もっとここにいいものがある。〉が欲しくて欲しくて買いました。

一番最初に載っていた「ランディ・トラヴィス」スーヴァンカム・タマヴォンサ(岸本佐知子訳)をね、ひとりで家で音読して読んで、また衝撃的に好きだなと思った。愛の物語で、死がなぜか暗くなくて、ちょっとおかしいのに、涙がでるようなお話。何回も読み直すのだとおもう。やっぱり岸本佐知子の訳の文章は好きだな。ルシア・ベルリンも相変わらず好き。大好き。

 

*お世話になった場所

三軒茶屋twililightと本が読める店fuzkue

 

まあ、ものすごく頻繁に通っていたわけではないのだけれどtwililightは蔵書が好きなので、世田谷線にのってとことこよく行ってました。目当てもなく行って、その時の気分で本を買って、屋上を開けてもらい屋上で本を読むことが好きだった。外で本を読むことはわりと好きです。ちょっと寒いくらいでいい。「死なれちゃったあとで」はそうやって偶々買った本です。いい本だったなあ。

 

あとfuzkueの会話のない読書会に何回か行かせてもらいました。

 01/26 柴崎友香『続きと始まり』@フヅクエ西荻窪

 04/06 フヅクエ下北沢4周年記念オールナイト営業@フヅクエ下北沢

 05/16 島田潤一郎『長い読書』 @フヅクエ初台

 06/13 大田ステファニー歓人『みどりいせき』@フヅクエ初台

札幌に引っ越したのは良いけれどfuzkueの読書会は選書の趣味が自分にぴったりで、大好きだったのでもう参加できないのかと思うとそれだけは悲しい…。印象に残っているのはオールナイト営業。夜に電車にのって下北まで行き、朝まで本を読んでから帰りました。プロジェクト・ヘイル・メアリー(上下)を一晩で読んだのだけれど、飲み物が暖かくて安心して朝ごはんもおいしくて、眠れない夜が本当にさみしくなかったです。SFを読むのがすごい久しぶりでなんだか熱を持って読んでしまった、めちゃ面白かったー。そういえば映画化するみたいです、夜通し読むのにすごいぴったりだった。

 

 

 

 

 

 

 

そんなわけで

シカゴ育ちをtwililightで買ったのが、2024年になってすぐだったことをわりと覚えている、そこからもう約一年がたつのか。シカゴ育ちのなかに収録している短編、「冬のショパン」の最後、同じアパートでいつも聞こえていたピアノの音が聞こえなくなり(ピアノを弾いていた住人が去ってしまったのだ)、音楽の通り道だけがそこに残った描写がものすごく好きで、何度も何度もその部分だけ読み直した。読んだ時期も1月で、冬だった。そうしてまた季節が一巡している。

 

ゾンビ―スのこともそうだけど、自分が何歳くらいのどういう時期に、こういう本を読んだ、ということって結構わたしにとっては大事だったりする。

本の1ページ1ページは、わたしにとっての時間そのもので、重なった紙の分だけわたしの経験になっている(はず)。

本を読むことでもっと知らないことをたくさん知りたいし、いろいろなひとのことを想像したいけど、どうだろう、わたしは本からちゃんとたくさんのものを受け取れているんだろうか。

心配になりながらも、結局は自分のもやもやの解像度が上がっていいくような形で、いつも本に助けられるから、これからもまた本を読み続けるんだろう。全然読まない時があったり、そればかり読んでしまう時があったりしながら、自由にゆっくりやっていきたい。

 

 

 

音楽が消え去るには時間がかかった。通期口のなか、壁や天井の蔭、浴槽のお湯の下、僕はいたるところにその断片を聞き続けた。パイプや、壁紙で覆ったダストシュートや、煉瓦で固めた煙道や、薄暗い廊下を通って、残響が伝わってきた。ミセス・キューアビックのアパートにはそこらじゅう秘密の抜け道があるように思えた。そして、とうとう音楽が止んでからも、音の経路はそのまま残って、沈黙を運んできた。ごく当たり前の、何もない空っぽの沈黙ではなく、夢想や記憶も届かないところにある純粋な沈黙。それが訪れる前に聞こえていた音と同じくらい強烈な、そして、音楽と同じように、それを聞いた人間を変えてしまう力をもつ沈黙。それは古い建物の混みあった喧噪を静まり返らせた。それはずっと前からそこにあったのだ。軋みや、すきま風や、ぱたんと閉まるドアの蔭に。ばりばりと雑音の混じるラジオの蔭に、トイレで水を流す音や足音やぱちぱちとはねる油の蔭に。掃除機や薬罐や赤ん坊の泣き声の蔭に、人々が自分個人にかかわるすべてのものとともに自分自身をとじ込めているアパートから漂い出る切れぎれの会話や言い争いや笑い声の蔭に、それはあったのだ。

もう彼女を恋しがらなくなってからも、残された沈黙が僕にはまだ聞こえていた。

 

 Chopin in Winter / 冬のショパン-スチュアート・ダイベック

 

 

 

 

 

 

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来年は古典を読みたいです。なにがいいかな。

 

 

 

  翻译: