【VANSの歴史】今だからこそ見直したいヴァンズの歴史と魅力
「定番」という枠を抜け出し、さまざまな人気ショップの別注やスポーツコンテスト/フェスのスポンサーなど、ストリートカルチャーを愛する人には欠かせない存在であるVANS/ヴァンズ。
今となってはスケーター/BMXライダーのみならず様々なカルチャーに大きな影響力を持つVANSですが、もともとはカリフォルニアの小さなオーダーシューズメーカーだった、ということを知っている人は少ないのではないでしょうか。
さまざまな形でオマージュされ、スケーターキッズから文化人まで幅広い層に愛され続けるVANSの歴史を、物が飽和する今だからこそ知り、この魅力を見直すべき。
…と、ふと思い立ちました。
今回は、定番となってもなお熱狂的なファンを生み出し続けるVANSが、どのようにしてカルチャーの中心的存在になったのか、VANSの歴史と魅力をご紹介します。
VANSの定番モデルと特徴・魅力は以下の記事↓に徹底的にまとめています。
是非参考にしてみてください。
↓目次↓
VANSはどのようにしてストリートカルチャーの中心になりえたのか
VANSは黎明期のスケーターに愛された、オーダーシューズ専門店だった。
舞台は1960年代後半。
アメリカ西海岸カリフォルニア。スケートボードがサーファーたちの練習道具としてだけではなく、コンテストが開かれ始め、一つの競技・スタイルとして認識され始めた頃でした。
州南部のガーデングローブと言う地域に、VANSは誕生しました。
創業者はポール・ヴァン・ドレン。
当時彼はすでに「ランディ」という靴製造企業の副社長をしており、ガーデングローブの工場の損失を助けるために、兄弟のポールとゴードンを誘い、「The Van Doren Rubber Company/ヴァン・ドレン・ラバー・カンパニー」を立ち上げたのが、今日のVANSの始まりです。
当時のVANSは、オーダーを受けてから靴を製造し、それを直接顧客に手渡しするオーダーメイド制を取っていました。創業したその日に12足のオーダーを受け、夕方には納品していたと、VANSは公開しています。
2つ折れのフライパン(ちょうどワッフルを焼く機械のようなもの)でアッパーとワッフル型のソールを圧着し、クッション性と耐久性、生産容易性と真新しさを要した「オーセンティック」の誕生でした。
フラットでグリップ力の高いソール形状から、当時勃興を見せていたスケーター達から、じわじわと信頼を集めていきました。
1970年代に入り、アメリカにおけるスケートボードの技術革新とも言える、「ウレタン製ウィール」と「ベアリング」が登場しました。
これにより、当時主流だったフラットランドだけではなく、スラロームやダウンヒル、バートといった競技が行われることとなり、スケートボードの人気は世界へと広まっていきます。
日本のスケーターにはお馴染みの(スケーターなら絶対見るべし)「ロード・オブ・ドッグタウン」の「Z BOYS」が注目を集めたのもこの時期です。
ステイシー・ペラルタやトニー・アルバらの確信的なスケートスタイルが一躍注目の的になるのですが、この時に彼らが愛用していたのが、上述のオーセンティックの履き口にクッションをつけるなどしてよりアグレッシブなスケート用にカスタマイズしたものでした。
これが、今後50年以上に渡ってVANSのアイコンの一つになった「エラ(ERA)」というモデルであり、初期VANSを全世界に知らしめたと言える名作です。
ちなみに、今ではおなじみのスケートボードマークのロゴは74年になってからデザインされたもので、スケーターであるジェームスの息子が、自分のデッキにペイントしていたロゴをモチーフにしていると言われています。
あの「OFF THE WALL」が秘めたカリスマ性
お馴染みの「OFF THE WALL」というキャッチコピーは、Z-BOYSのトニー・アルバが、ボウル(水を抜いたプール)でのスケートにおいて、ランプの淵からジャンプをするトリックから生まれたとされています。
直訳的には「飛んだぞ!」くらいの意味に捉えられますが、その後には彼らのライフスタイルを指す「型破りな」「一般的でない」と言うニュアンス扱われるスラングとなりました。
サーファーの遊び道具でしかなかったスケートボードを競技やスタイルにまで昇華させ、しかも商業的にも結びつけたZ-BOYSが、またこの時代にもゴムソールシューズをハンドメイドオーダー生産していたVANSがどれだけ「型破り」な存在だったかが窺い知れるエピソードですね。
そして、名作「オールドスクール」が誕生した
70年代。同じくカリフォルニアで、大人のモトクロスレースをビーチクルーザーで真似をして遊ぶキッズたちが出てきました。BMXの登場です。
瞬く間に、BMXの人気も出始めました。そして、ストリートスポーツとして流行したBMXライダー向け/スケーター向けにVANSが発売したのが、「style36」というモデルでした。
「ジャズライン」と呼ばれる特徴的なサイドステッチに、耐久性を高めるためのカッティングをつけたこのシューズは、スケーター/BMXライダーの支持を集めました。
このサイドのレザー補強は、最初は単なるヴァンの落書きだったそうです。これがのちにジャズラインと名付けられ、VANSのアイコンの一つとなるのです。
これが、のちに「オールドスクール/old school」と呼ばれる不急の名作でした。
また、時を同じくしてスケーターように発売されたのが、VANSの代表作のひとつでもある「スケート・ハイ/SK8 Hi」です。
その名の通りスケーター向けに発売され、ハードなスケーティングから足首を守るハイカットデザインが特徴的です。
「スケハイ」などと呼ばれて、今もファンが多いこちらも名作と言えるでしょう。
翌年にはこれまた名作、「スリッポン/SlipOn」が大ヒットを記録します。
スリッポン自体は、実はオールドスクールと同年に発売されていました。
足を滑り込ませるように履ける気軽さから、カリフォルニアではスケーターやBMXライダーから支持されました。
それに加え、82年に映画「Fast Times at Ridgemont High(邦題:初体験)」で主役、ショーン・ペンがチェック柄のスリッポンを履いていたことで。世界のファッション業界にも認知されることとなりました。
このチェッカーフラッグ柄スリッポンはインパクトがあるのに、他のどんなアイテムとも合わせやすいことで今でも多くの愛好家がいるド定番モデルです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
前述の通り、この頃のVANSは国外に向けたセールスを大々的に始めていました。
カリフォルニアだけでも数十店舗オープンしていたとの情報もあるほど、かなり大きく事業規模を拡大していました。
その煽りか、この後VANSには低迷期が訪れます。
低迷〜脱出〜またしても名作の誕生、一層のビッグカンパニーへ
その後、1984年にVANSは経営破綻に追い込まれます。
その頃にはポールは直接的な経営から退いていましたが、ポールが経営に戻ることを条件に裁判所は民事再生法を適応。
なんと、ポール率いるVANSはその後わずか3年で全ての債券を返還したとされ、完済の翌年には投資会社であるMcCown DeLeeuw社に会社を売却。
より資本力を手に入れたVANSは、より全世界へと手を伸ばしていきます。
その頃リリースしたのが、これまた名作の「ハーフキャブ/HalfCab」です。
過激なスケートスタイルで有名な「ボーンズブリゲード」の一員である、(今となっては伝説の人となった)スティーブ・キャバレロのシグネイチャーモデルで、ハードなスケーティングに合わせて、当時の世界の流行となり始めていたサポート強めの設計がなされたモダンなシューズでした。
このシューズの登場を皮切りに、従来のシンプルなスケートシューズではなく、サポートの強いハイテク系スケシューが全世界で流行の兆しを見せるのでした。
【閑話休題】1994年、ABCマートが日本でのライセンス契約を取得
90年代に入ってから、日本でもストリートファッションやスケートカルチャーの流行と共にVANSも人気を見せるようになります。
そんな中、あのABCマートがVANSとライセンス契約を取り付けます。
ライセンス契約とは、つまりVANSの名前を使ってABCマートが生産したシューズを販売しても良い、と言う許可のこと。
この、日本のVANSファンにとっては重大(?)な事件により、日本においては現在でもVANSには「USA企画」と「日本企画」が混在することとなり、ほんの一部のファンたちの間では論争(?)が絶えません。
ちなみに、私は足が大きいためソリの若干緩やかなUSA企画を好んで履いています。
USA企画、日本企画については別の記事でまとめますので、乞うご期待。
90年代後半、音楽シーンとストリートスポーツ界の中心となった
95年、VANSは「WARPED TOUR」という音楽フェスのスポンサーを務めるようになった。
このWARPED TOURは、94年に始まったもので、スケボーのパフォーマンスと音楽を一緒に楽しもう、といったようなコンセプトだったようです。
スケートやBMXとロック音楽のファンを巻き込み、年々規模を広げたWARPED TOURは、やがて全米最大のロックフェスへと成長してきます。
2019 年に(コロナ騒ぎとは関係なく)終了するまで、アメリカ/カナダでもっとも古くからある、代表的なフェスとして人気を博しました。
それも2001年からは、VANSはこのフェスを主催するまでに至っており、VANSが音楽シーンの中心にも影響していたことがわかります。
このフェスのスポンサーを買って出た翌年97年、「トリプルクラウン・サーフィン」という大きなサーフィン・コンテストのスポンサーとなります。トリプルクラウンはサーフィンだけでなく、スケートボード、BMX、スノースポーツ、モトクロスのコンテストも行なっており、2000年までに全ての種目でスポンサーを引き受けるまでになりました。
これにより、VANSはストリート/エクストリームスポーツ・スポンサーの中心的存在に君臨することになります。
その後の活躍は、みなさんもよく知ることでしょう。
日本にいてもハードコアなファンが大勢おり、ファッション雑誌やストリートカルチャーのWEBマガジンでも見かけない日はないようになりました。
VANSの歴史まとめと、ぼくが想うVANSの魅力
VANSは、最初はスケートボードやBMXといった、小さなコミュニティのそばで住まれて一緒に育ち、ファンの欲しいものを常に届け続けることで今や全世界のカルチャーの中心に君臨しました。
今でこそ「何にでも合わせやすい」などと取り上げられ、スタンダード(無難といったいイメージ)の存在となっていますが、VANSが全世界にファンを持つようになったのは、ストリートカルチャーや音楽との結びつき、そしてポールらが持ち続けた「OFF THE WALL」な熱い精神によるものだったのです。
…以下余談。
ちなみに、私はエラとオールドスクールの大ファンです。
学生時代からエラを履きつぶしてはまた買い…を繰り返し、ここのところはすっかりオールドスクールの虜、と行った感じです。スケボーを始めた頃なんか、シューグーまみれのエラを捨てられずに飾っていたほどのお気に入りでした。
VANSのシューズは、はっきり言ってローテクで重いし、クッションが効いているといっても旧時代のバルカナイズド・スニーカーの多分に漏れず、歩きやすい類のものではない。同じ値段帯のニューバランスと比べると履き心地も天地の差(失礼)があるような代物なのですが、履き心地とは全く違うベクトルの魅力を感じています。
デザインと佇まいは文句の付けようがなく、気取った雰囲気もゼロ。むしろスタイリングに興味のない大学生が履いていても違和感がない。でもスケートにも超絶合うし、BMXに乗る時も、こいつがいないとやっぱり不安。
VANSのシューズは、ぼくのスタイルに合うというか、むしろぼくがこうなりたくて履いているというか、利便性を超えた憧憬がここにあるのです。
まあつまり、なんでかわかんないけど見た目のカッコ良さと安心感が好き、というワケです。ふざけんな、デザインとライフスタイルは値段じゃねえぞ、という自己主張。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
デザインは不朽。値段も手軽なのに、全世界のカルチャーと触れ続けている気分を味わえるVANSのシューズの履き心地を、あなたもぜひ味わってみてはいかがでしょうか。
VANS定番モデルの魅力と特徴はこちらで徹底解説!!!↓