私自身、こうやってBlogを書いているわけだが、ここ最近Blogにおけるメッセージの伝播について色々と考察している。
私自身、何で自分でBlogを書くかというと、あくまでも自分のための「備忘録」という体裁である。「備忘録」であるから、あくまでも書かれている事柄については正しいかどうかも保障しないし、信じて何かあったとしても、それは読んだ人の責任です、という突き放しが大前提にはなっている。
ここまで書いて、「はて?」と思うわけである。
要するに、
「このBlogに書いてあることは正しいかどうか、保障しかねます」
と言っているわけである。
しかしこれは、
「あるクレタ人が言うには『すべてのクレタ人は嘘つきただ』とのこと」
という、「自己言及」のパラドックスに近いのではないだろうか?
「このBlogは正しいかどうか分かりません」
ということは、Blogの中に包含されるこのセンテンスさえも「正しいかどうか分からない」と言っているわけで、よく言われる話だが、メタとオブジェクトが混同されてしまい、論理的な判断が不能になる状態に陥ってしまっている。
ということは。
CGMとしてあまた生成されるBlogのほとんどは、「自己言及的」なメタメッセージがもれなく付いてきており、そのメタメッセージがあるにもかかわらず、かなりの読者数を獲得しているものもあり、その「ねじれ」とでも言うべきものをどう理解すればいいのか、非常に悩むところである。
「信じてはいけないよ」
というラベルが貼られている言説が垂れ流されている状況を、どう考えればいいのか?
消費者のダブルバインドな言説が、天文学的数字で流通している世界って、いったいどうよ?
世界はここまでねじれているってことか。
すみません。オチはないです。