諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

「Romanticist」は何時和製英語「ロマンチスト」に変貌を遂げたのか?

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混沌の1970年代」が「軽薄の1980年代」に至るプロセスにおいて、このバンドのこの曲について触れるのは避けられないかもしれません。

THE STALIN「ロマンチスト(1982年)」

日本の ロックバンドであるザ・スターリン(THE STALIN)のメジャー1枚目のシングル。1982年7月1日に 徳間ジャパンのクライマックスレコードから発売された。


既にインディーズにおいて過激な歌詞やパフォーマンスで知られていたザ・スターリンのデビューシングル。アルバム『STOP JAP』と同時にリリースされた。

  • インディーズ時代には「主義者(イスト)」というタイトルで演奏されていた。曲の内容は世のあらゆる「〜主義者」と呼ばれる人間を皮肉を込めて糾弾したもので、ハードコア・パンクに通ずる音楽性を持っていた。

  • 曲中のサビ部分である「吐き気がするほどロマンチックだぜ」のフレーズが有名となり、過激なステージパフォーマンスと相まって「パンク」のイメージの一部を作り上げた。

  • また、当時としてはあまり一般的ではなかったPVも制作されており、映像作家である石井聰亙が監督を務めている。

B面曲はアメリカのロックバンド、ザ・ドアーズの楽曲「ハートに火をつけて」のカバー曲。ボーカルの遠藤によって和訳された独自の歌詞で歌われている。

そもそも当時の日本においては「Romanticist」なる表現に「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマを正確に見て取ったケースの方がレアでした。

新左翼と旧左翼の大同同盟」が成立した当時の状況が、そうした厳しい認識を不可能としたという考え方もあります。当時はソ連もまた「ブレジネフ書記長のユーフォリア(Euforia, 多幸感)時代(1964年〜1982年)」と呼ばれる天下泰平期でもありました。

レオニード・イリイチ・ブレジネフ(Леонид Ильич Брежнев / Leonid Il'ich Brezhnev、1907年〜1982年)

ソビエト連邦の政治家。同国の第5代最高指導者。

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スターリンに次ぐ長期間ソ連を統治した。しかしロシアにおける彼の死後の評価は歴史家の間で非常に低い。彼は基本的経済問題の無視とソ連の政治体制の衰退を黙認し「沈滞の時代」を長引かせたことで非難されている。彼の貪欲な虚栄心はさらに非難された。ブレジネフの功績は、ソ連が彼の指導の下前例のない国力と国威を得たことであった。彼は外交における熟練したネゴシエーターであり、ソ連の経済問題はスターリンから受け継いだ社会主義体制が本質的に保有するものであった。社会体制改良の試みは彼よりはるかに若く最終的な後継者であるミハイル・ゴルバチョフに引き継がれた。
*その一方でロシアではピョートル大帝と並ぶ文化的英雄と目されている。

C-C-B「Romanticが止まらない(1985年)」

1985年1月25日にリリースされたC-C-Bの3枚目のシングル。C-C-Bを代表するシングルであり、出世作として知られている。同曲はバン解散までにリリースした全シングル曲のなかで最大のセールスを記録している(オリコンチャートにおいて)。

  • バンド名を「Coconut Boys」から「C-C-B」に変更した後の第一弾シングルである。

  • レコーディングで唯一メンバーが演奏していない楽曲(スタジオミュージシャンが演奏している)。

  • 表題曲はTBS系連続ドラマ「毎度おさわがせします」の主題歌に起用された。ドラマ主題歌起用については、前年(1984年)にヒットした同局系の連続ドラマ「うちの子にかぎって…」でチェッカーズの楽曲が主題歌及び挿入歌に起用され話題になったこともあり「毎度おさわがせします」でも引き続き採用する予定だった。しかし、作家陣の希望でC-C-Bが抜擢されたという経緯がある。

  • また、一世風靡セピアに同ドラマの主題歌を、という話が進んでいたが、ドラマの内容と硬派を売りにしていた彼らのスタンスとマッチしないということで起用は白紙になりC-C-Bに依頼が舞い込んだ…という経緯を、C-C-Bの音楽プロデューサーであり、筒美京平実弟である渡辺忠孝は語っている。

  • 本作品でヒットに恵まれなかった場合はバン解散も辞さない覚悟で臨んだ一作である。そのメインボーカルを委ねられたプレッシャーで、笠は胃痛や不眠に悩まされたという。また、何度譜面に目を通しても仮歌を聴いても歌詞が頭に入らず、メンバーの田口に協力して貰いレコーディング直前まで繰り返しデモテープを聴きこんだという。

ザ・ベストテン」では通算100曲目の第1位(1985年4月4日放送)に輝いた。

ある意味、当時の日本もまた「(角川商法が広く日本国内を席巻した)ユーフォリア(Euforia, 多幸感)の時代」であり、これと対峙する形で(TV系サイバーパンク文学を含む)パンク文化が栄えた時代だった?

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