リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

トラスト・ウィミン

レベッカ・トッド・ピーターズの著作


序章の要約

 著者は、最初の妊娠と中絶経験を振り返りながら、中絶が女性の人生の中でどのように「通常の一部」であるかを論じています。しかし、社会的な風潮や立法の影響により、中絶は恥ずかしさや非難の対象となり、多くの女性がその経験を公に語れない状況にあります。特に、アメリカでは中絶に関する議論が「正当化の枠組み(justification framework)」によって支配されており、女性は中絶を選ぶ理由を社会に説明し、正当化しなければならないというプレッシャーを受けています。

 この枠組みは、女性が妊娠を続けることを「道徳的に当然」とする文化的・宗教的価値観に基づいており、女性の性や妊娠をコントロールしようとするミソジニーや家父長制の遺産に深く根ざしています。また、著者は「胎生体(prenate)」という新たな用語を提唱し、従来の「胎児」や「赤ちゃん」など感情的な表現を超えた、より中立的な議論のための言葉を提供しています。

 著者は、この「正当化の枠組み」が道徳的にも不十分であり、女性とその家族の健康や幸福を直接的に害していると批判します。そして、この枠組みを「リプロダクティブ・ジャスティス(RJ)」の枠組みに置き換えるべきだと主張します。RJは、女性が「子どもを産まない権利」「子どもを持つ権利」「安全で健康な環境で育てる権利」を持つべきだという3つの原則に基づいています。このアプローチは、女性が直面する現実的な課題や社会的状況を包括的に考慮し、道徳的な絶対主義を拒否するものです。

 また、著者は、自身のクリスチャンとしての信仰と中絶を選ぶ決断が矛盾しないと述べています。むしろ、信仰は女性が自己を愛し、家族や社会への責任を果たすための道徳的指針となると主張します。そして、キリスト教が歴史的に女性、性、家族についてどのように影響を与えてきたかを探ることで、新たな議論の基盤を提供しようとしています。

 最後に著者は、女性が自己の身体や人生について道徳的決断を下せる存在として信頼されるべきだと強調し、中絶が「道徳的に許される」だけでなく、場合によっては「道徳的に善い」選択である可能性を認めるべきだと結論付けています。