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【読書】カバラ 魂の学校 その道程と陥穽【要約】 2.霊的組織

2 霊的組織

 

個人が人間の原型としてのアダム・カダモンへと成長していく時の、霊的レベルの上昇する団体という位階もある。これらの内的グループは様々な形をとる。霊的人間と言うのはどんな場所にも存在し、そうした人々が集まったグループもまたあらゆる場所に起こりうる。

 

また、このようにも言われている。百人いてもその内のたった一人が自分の人間的成長に興味を持つ。しかし、その道につかまり、彼の人生の最後までそれを運ぶのも百人に一人と。つまり秘教的な人生に身を投じるのは一万人に一人と言うことになる。

 

一万人に一人は意外に多い(日本で計算すると12,000人もいる)。「地の塩」と呼ばれる人々が個々の選択の段階で留まってしまい、教えの一つの系列が失われてしまわないように、地上に撒き散らされている。それがどのようにしてかは不明だが、集められてくるのは明白である。

 

大きな宗教には対外的な行動部隊がいて、人々が公式に宗教的役割を果たすように導き、繋がりを持つ事で霊的成長の為の疑似体験を与えようと試みる。「道」を本当に担っている人のやり方は、これとは正反対で、この道に入ろうとする人をテストや障害で阻み、信頼に足る人しか入れないようにする。

 

集まって霊的な学習や練習をするだけが秘教の学校ではない。それぞれの伝統に合致したレベルを持った全世界の構造があり、それぞれは人類の霊的世界における特別の使命を果たしている。この大いなる計画を見て行くには色々な方法がある。

 

1つは、「霊統」の繋がりを感知すること。もう1つは、その土地と人々の必要に合わせて表現を工夫しているかである。

 

最初の単位である個人と言うものは、その内にあらゆるレベルを内包している。このような人と言うのは、肉体的な生存だけを目的とせず、社会に自己中心的であると言う印象を与えることはしない。内なる世界からさらに上位の世界の探究に努め、完全に自己実現したいと望んでいる。この種の人は、ただ己の人生の意味だけでなく、宇宙的規模の意味を求めている。

 

この「求める人」と修業との出会いは、その人の文化の中で起こる。そのような出会いは、しばしば結婚式や葬式への出席であるが、儀式や説明の中に何かもっと深いモノが隠されているに違いないと感じても、魂が触れることがないために、その印象は心の奥深くにしまわれてしまう。

 

霊的領域における最初の出会いは書物によるものであることが多い。実質的な修行の源になるのは伝統である。しかし、高い世界からの直接の助けを受けた個人のものもある。

 

「伝統」と言うのは、教えを、それぞれの文明の中でそれにあった形に変容させるための「乗り物」である。そのような理由から、様々な宗教の形而上学や儀式、典礼がある。

 

しばしば真理を追求する人は、自らが所属する文化の基礎教育から拒否されており、先祖代々の権威のしがらみがない外国の伝統に共鳴していることが多い。これが第二番目のレベル、霊的家族の出会いである。

 

グループは家族に相当するカテゴリーで、4人~40人までの人間で成り立っている。誰もが互いを見知っていて多少の人間関係を持っており、リーダーがいて父親役か母親役を努め、何人かのおじさんやおばさんと年長者がいる。その集合と離散の時に家族としての性格が露わになる。

 

いくつかのグループが他のグループと結びついて、コミュニティのようになるとグループの学校になる。このレベルになるとある特定の修行に従っている霊的家族の集合体となる。大変親密な提携があって、様々な形態で活動している。1つのグループの規模を超えたスケールで存在し働き、その地方全体に影響を与える。

 

霊的ヒエラルキーの中で、その組織が大きくなればその潜在的力が増してゆく。国のレベルに対応するのが霊的な用語における系統(LINE)であることから、その形と継続性に力点が置かれているのが分かる。

 

このようにして、いくつかの学校は教えの特別な解釈を世界の色々な所で伝えている。系統の主な性格は、国と同じように、他の系統と際立って違う質を持っていることである。しかし、全ての系統の違いが生活の表面に見えているわけではない。生活として見えるレベルの次を内に含む薔薇十字団に関しては、殆ど伝えられることもないし、殆どの人が知らない。これが伝統と言うもので、この場合はオカルトの伝統である。

 

伝統は文明の中で発達する。民族と場所と霊の相互作用がある特定の文明を産出し、そこに教えが具現化して正統的伝統となるのである。エソテリックなテーマが公的な実習になり、霊的現実が信仰の教説になり、個人崇拝や宗教的慣習と化す。全ての宗教がこのパターンをとる。

 

伝統は、偉大な聖者や賢人や予言者の人生を土台にしているが、その人達は、大衆向けと秘教用の両方の教えを伝授する。その教えのダイナミックさと構造は、外側の殻を守ろうとする在家の宗教者によって伝えられ、内なる力は系統や学校やグループと言う形の伝統に属する神秘家によって保たれる。

 

全体の計画は人類によって保たれる。それに霊的に対応するのは、トーラーや完全なる自己実現を達成するためのにアダムに与えらえれた教えである。ここで神の質と宇宙と人間とその相互の関係をに関する知識を伝えることを指示するための、完全な連鎖が完成したことになる。

 

霊的ヒエラルキーは、個人からグループ、学校、系統、伝統そして「天上の大学」へと伸びて行く。この天上の大学は違う種類の時空に存在し、「聖なる方」から教えられる高き所にあるアカデミーへと続いている。この計画は両極つまり「アダム・カダモン」と言う源初の人間と、個人の間に沢山のレベルがある。

 

この偉大なる計画を見て、教えの歴史を知り、状況の変化の中をどのように流れてきたかを見ることで、何が私たちに手渡されたのかを考えよう。

 

自然と超自然の対応が個人を軸に展開される。上と下が互いに反響する。しかし、それぞれ異なったレベルの現実である。その働きは異なったレベルと考えるべきであろう。

 

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感想

要約なのに、かなり長くなってしまいました。

新曲作りが始まり、忙しくなって来たこともあって、今後、ブログ更新も遅くなりそうです。それに伴って、要約の更新も遅くなりそう。要約自体も色々に解釈出来る部分を強引に解釈していて怪しいですw

 

 

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元の本はこちら

 

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