11月23日
小金井公園にピクニックに行ってきた。
小金井公園にはSLの展示(利用期間は3月から11月の土日祝および都民の日)があって、子どもはこれが大好きだ。
子どもが石炭を火室に入れ、右に座っているわたしが注水器で水をボイラーに送る。プシューーー。蒸気が発生する。子どもは、石炭庫前に腰掛ける夫に「お客さぁん!」と声をかけながら、加減弁ハンドルを動かし、シリンダーに蒸気を送る。重々しい主連棒がわずかに動き出し、動輪がゆっくりと回転を始める。子どもは、走り出した機関車の機関室内を隈なく確認し、ブレーキハンドルや逆転機をしっちゃかめっちゃかに動かし、突然運転席を離れ前方の窓に張り付き「窓が動くねえ!窓が動くねえ!」と驚きの声を上げた。
子どもといると、忘れていたことを思い出す。わたしも幼いころ、小さな湖の湖畔の、SLのある公園が大好きだった。小金井公園の展示とは違い、機関室のレバーなどには触れなかったが、SLによじ登ることができた(ひょっとすると、禁止されていたけど勝手に登っていたのかもしれない)。SLの上から、湖越しの市街地のビル群を臨み、SLに乗って街を走り抜ける妄想をするのが大好きだった。
いつも妄想ばかりして、見えないものばかり見ていたのに、今は手元のスマートフォンの中の情報ばかり見ている。
夜眠る前の絵本タイムでは、クリスマスが近いので、久しぶりに『よるくま クリスマスのまえのよる』をママセレクトした。
絵本の中の「ぼく」は、窓の外を見ながら、クリスマスをたのしみにしている。しかし「ぼく」は、ママにたくさん叱られたから悪い子だと思い込んでしまって、サンタさんが来ないかもしれないとも心配している。
「いい子にはサンタさんがくるよ。でも悪い子には?」という、秀逸なオープニングをわたしが読み上げたとき、子どもが意気揚々と「悪い子はサンタさんがお尻ペンペンだよ!」と言った。
今までずっとわたしは「子どもに悪い子はいない。みんないい子。もし悪い子がいたとしたらそれは大人が悪い。大人が(長いので以下略)」と子どもに話してきた。しかし、保育園で園長先生が「悪い子はサンタさんにお尻ペンペンされるよ!」と話したらしい。
「いやいやいやいや、悪い子はいないし、サンタさんはお尻ペンペンしない」「する!お尻ペンペンする!」「いや、しない」「する!」の応酬になった。
お家の中の価値観と外から持ち込む価値観は、子どもの中でぶつかる。わたしと夫によって築かれ守られている家の中の価値観が正しいわけではない。家の中の価値観を刷り込まれているからこそ、常に家の外の価値観とぶつけて、子どもなりの価値観を築いていくことが大切だ。
しかし、今回外からやって来た「悪い子にサンタさんがお尻ペンペンする」は許し難い。駆逐したい。
11月24日
またしても、小金井公園に行ってきた。
きょうは夫が休日出勤で不在なので、前日から子どもには「家の近くの公園で遊んだり、サンタさんにお手紙を書いたりしようね」と念入りに話していたのだが、近所の公園へ出かける直前になって「お家のある公園に行きたい!」と子どもからリクエストがあったので、お家のある公園こと、小金井公園内の江戸東京たてもの園に遊びに行った。
この江戸東京たてもの園、とにかく子どもが大好きで、何度も遊びに行っている。わたしも建築が好きなので、遊びに行くのはほんとうにたのしい。しかし、ここにあるのは、後世にも保存されるべき重要な建築物だ。走り屋の幼児が遊ぶ場所では決してない。
子どもは園内に入ると同時に、デ・ラランデ邸に直行した。ここの元食堂に置かれたソファーが、子どもは大好きなのだ。ここは洋館なので、靴下で走ってすっ転ぶこともなければ、子どもの足踏みだけで壊れそうな明治時代のガラスで造られている窓もない。子どもが多少テンションを上げて活動しても、わたしもそこまで気にならない。
しかし、高橋是清邸は別だ。部屋全体を覆う繊細な彫刻が施されたガラス障子、ゆっくり廊下を歩いてもガタピシ鳴る明治時代に作られたガラスの窓、転げ落ちたら死ぬような急で段差の激しい階段、靴下を履いているとアイススケートをしているようによく滑る畳。邸の全てが走り屋への罠となっている。
子どもとわたしは、是清邸の1階の、美しいガラス障子を通って射し込む、柔らかな午後の光に照らされながら、畳の上で寝転んで、「おやすみー」と寝て、「もう朝だ!おはよう」と言って起きる、おままごとを十二分に楽しんだ。そして2階へ向かった。
「まっくろくろすけがいそうだねぇ、こわいねぇ」と、子どもと一緒に一段一段踏みしめて階段を上ると、是清の寝室が現れる。この部屋で高橋是清は命を奪われた。そう思いながら、寝室の窓から庭園を眺める。楓の葉が色づいて美しい。などと感慨にふける時間はない。子どものかくれんぼがすでに始まっている。
わたしが書斎の襖に隠れ、寝室から子どもがわたしを見つけにくる、というかくれんぼをした。わたしがあるタイミングで、わたしを見つけにきた子どもを「ばぁ!」と驚かしてみた。わたしはずっと襖の後ろにいるのに、それを子どもはわかっているはずなのに、驚かされた子どもはびっくり仰天し、畳で足を滑らせてひっくり返った。
子どもはそれがとてもたのしかったようで、わたしを見つけにきては、「おおーっ?」「ひぇー!」などと叫び、変なポーズをとりながら、自ら足を滑らせてひっくり返りつづけるようになった。
ダメだ。是清の書斎で奇声を発しながらひっくり返りつづけてはいけない。わたしは子どもをホールドし「落ち着け、落ち着くんだ」と諭した。しかし子どもは、テンションを爆発させ大笑いしながら、是清の書斎の畳を転がり回った。もちろん、見学者はこの間に大勢来ている。ここは歴史を感じさせる総栂普請の高橋是清邸だ。2階の書斎と寝室の間にある松竹梅のあしらわれた欄間も、ガラス戸と障子から射す翳りを帯びたような光も、そこから見える庭園の風景も、全てが完璧のもとに調和する建築物だ。ボーネルンドの遊び場ではない。
見かねた係員さんにも「お外で遊ぼうねー!」と言われ、それでもしばらくはなす術なし状態がつづいたが、「もう一度銭湯(園内にある、移築された子宝湯)に行こう!銭湯の脱衣所で一緒に転がろう!!!」という決死の提案をしたら、「うん!行こっか!」と言って、子どもは階段を降りていった。
書斎の床の間に、是清とそのお孫さんの写真がある。晩年の是清とお孫さんは、よく庭園を共に散歩したらしい。是清さんのお孫さんもこんな感じでしたか?畳で滑って転げていましたか?
※銭湯の脱衣所で共に転がりました