少し前のニュースとなりますが、橿原考古学研究所から桜井茶臼山古墳が撥型だという報告がありました。この調査については8月5日までレーザー探査結果と合わせて公開されていた模様なんですが、なかなか行ける機会がなく見ることなく終わってしまいました。
概要を奈良新聞の記事から引用すると、
奈良県立橿原考古学研究所が桜井茶臼山古墳(同県桜井市、3世紀末)の赤色立体地図を作成して検討した結果、前方部が前端に向けて広がる形状だったことが分かった。メスリ山古墳(同市、4世紀初め)と共に真横から見た側面図も作成、両古墳の墳丘の形状に違いがあることも明らかになった。初期ヤマト王権の大王墓級の古墳について系譜を考える上で貴重な成果になる。
らしいです。このブログを読まれている古墳愛好家の方以外に向けて簡単に補足しますと、古墳時代は若干異説はあるものの、奈良県桜井市にある箸墓古墳から始まると言われています。この箸墓古墳が前方後円墳の最古式となり、特徴としては、前方部が三味線の撥(ばち)のように広がるんです。もうちょっと時代が下ってくるとより前方部が巨大化してくるのですが撥型ではなく最初っから台形がくっ付いた形になっていきます。
今回話題となった桜井茶臼山古墳は、箸墓古墳と年代としては近いのに、さらに場所も近いのに、形が撥型ではなく、丸に長方形がくっ付いた形をしているとされ柄鏡式と呼ばれていた古墳なのです。
比較のために並べてみます。
左)桜井茶臼山古墳の測量図
中)今回報告のレーザー探査による測量図に私が想定の線加筆
右)箸墓古墳のレーザー探査による測量図
真ん中の図でいうと、従来は緑の線で柄鏡式の前方後円墳とされ、巨大だけど大王墓としての系譜としては諸説ありました。今回おそらく新たな発見と言われるのは赤の線のようなイメージなのではないかと推測します(想定復元図は今後とのことらしいです)。
しかし元々の測量図でも微妙なカーブは見られるし、それをどれだけ強調したとしても箸墓古墳のような撥型には到底ならないのは一目瞭然と見えるのです。やっぱらい柄鏡式じゃないの?と思うのは自分だけでしょうか?
ちなみに桜井茶臼山古墳は、ドローンによる空撮許可も得られているので機会があればなんとか今年中に赴いてさらに、撮影もできればと思っている古墳です。
過去の訪問備忘録はこちらです。コロナ禍前、もう3年半も経過してしまいました。