僕はこの連載で、自宅周辺での身近な野鳥について、折にふれて紹介してきた。
身近な野鳥を撮るために、カメラを歩行器に積んで散歩に出かけるようになったこと(その1)。高所から縄張りを見張るモズが、下を向いて歩く僕に上を向くきっかけをつくってくれたこと(その6)。4羽の子ツバメが無事に巣立ったこと(その15)。そして、無数のムクドリが自宅近くに「集団ねぐら」をつくったこと(その19)などだ。
2024年を締めくくるに当たり、僕にとって「特別な、身近な野鳥」(妙な日本語でスイマセン)であるカワセミを取り上げたい。
自宅マンションに近い用水路に、1羽のカワセミが棲(す)んでいる。散歩の際、僕は用水路沿いの緑道を、カワセミを探しながら歩くことが多い。
カワセミはふだん1羽で縄張りに目を光らせている。飛来した別のカワセミは、すなわち敵である。ツーショットが撮れるチャンスは春の繁殖期の出会いの瞬間だけだ。
首尾よくカップル成立に至れば、2羽は直ちに営巣地に去るようだ。夏の終わりごろまで、この水路でカワセミはほとんど見られなくなる。
僕はことし4月1日朝、カップル成立の場面に偶然巡り合い、撮影できた。年に一度のチャンスなのでうれしかった。――と、ここまで書いたところで、11月25日朝、護岸に並ぶ2羽のカワセミを見つけた。これはどういう行動なのでしょう? どなたかお分かりになられる方は、ぜひお教え下さい。
さて7月末、僕は一転して悲しい出来事に遭遇することになる。
スーパーの窓の外側で死んでいるカワセミを見つけたのだ。カワセミに限らず、大型の窓に激突して事故死する野鳥が増えているという話を聞く。窓ガラスに映る自身を、縄張りの横取りを図る敵と思い込み、排除しようとして窓に突っ込むらしい。
それでなくともここ数年、水路の周辺には先のスーパーやマンション、住宅、駐車場などが次々とでき、身近な野鳥たちの姿は目に見えて減っている。この秋、カワセミは戻って来るだろうか——。
僕の心配は9月15日朝、解消した。用水路の護岸に1羽のカワセミを見つけ、その後も継続的に見かける。新たな縄張りの主が棲み着いたのだ。
20年ほど前だったか。カワセミとの邂逅(かいこう)の瞬間を僕は忘れられない。
散歩中、護岸で小さな「キラキラ光るもの」が動くのを感じた。目を凝らす。コバルトブルーとオレンジのツートンカラーの「何か」がいる。くちばしが長い! 鳥だ! 野鳥図鑑ではたいてい表紙に載っている、あのカワセミではないか!
〈花ぐもり松に翡翠の瑠璃うごく〉水原秋櫻子(1892~1981)
カワセミは護岸のへりにちょこんと止まり、水面を見詰めている。と突然、ダイブする。ほんの1秒で魚をくわえ再び護岸へ。大きなくちばしで器用に魚をくるりと回し、頭からするりと呑(の)みこんだ。
〈棒呑みの獲もの翡翠の身に収まる〉橋本多佳子(1899~1963)
固唾(かたず)をのんで見守る僕を警戒したのか。「チッチー」。カワセミは甲高い鳴き声を残して、水面すれすれを滑るように飛び去って行った。
〈翡翠の一閃枯野醒ましゆく〉堀口星眠(1923~2015)
俳句の世界でカワセミは夏の季語だ。川蝉か翡翠と書き、「かわせみ」「ひすい」と読む。手元の辞書でカワセミを引くと「空飛ぶ宝石」とも称される、とある。
今でこそ、都心にもカワセミが棲むことは広く知られている。
けれど当時の僕は想像もできなかった。自宅の目の前にカワセミが棲むなんて——。
「ワシらはみんな用水路で泳ぎを覚えたもんだ。昔はもっともっと魚がいた。それこそ湧くように」と語るのは、この地に生まれ育った、僕より少し上の世代の知人である。
用水路の水は、正直言ってさほどきれいとは言えない。ただ、コンクリートで覆わず、土の部分を残したこともあってか、カワセミが主食とする魚やザリガニが多い。
知人によると、用水路は江戸時代、治水と農業用水のために造られたそうだ。
「戦後、水路沿いに自動車などの工場がどんどん建った。そのまま飲めた水が飲めなくなり、泳ぐこともできなくなった。魚もいなくなった」「高度成長後、工場がなくなって跡地にマンションが次々建った。そうこうするうちに、水がきれいになってカワセミが戻って来た」
カワセミのいるところには、たいてい追っかけのカメラマンがいる。地域の写真コンクールの展示を見に行くと、カワセミが被写体の作品がずらりと並ぶ。カワセミは我が町のアイドルである。
危険な存在(人間など)と一定の距離を保てていれば、カワセミはかなり長時間その場を動かない。じっとしているところを撮るのは容易だが、魚を捕ったり食べたり飛び立ったり、一瞬の動きを撮りたいと思ったら我慢比べになる。
同じ姿勢を続けにくいパーキンソン病患者の僕は、カワセミの行動をじっくり待つのは難しい。動きのある写真はたまにしか撮れないけれど、仕方がないとあきらめよう。僕にとって身近な野鳥の撮影は、あくまで散歩に出るための動機なのだから。
それでもカワセミに会えた日は気分がいい。自宅に戻るとまず妻に「カワセミがいたよ」と報告する。
僕はこう考えてみたい。それぞれの人の心に、それぞれのカワセミが棲む、と。たとえば小説家、永井龍男(1904~90)にとって、カワセミは厄介者である。
〈家には大きな古池があって、鯉や緋鯉を飼っているが、川せみという鳥がきてながいくちばしでさらって行く。作男たちは網を張ってこの鳥を捕え、くちばしを針金でしばって放つ(略)横向きの姿は華麗で、翡翠という別名にふさわしいが、獲物をねらったところを正面から見ると、実に凶悪な表情をしている。くちばしに針金をまくのも道理と思うほど憎々しげである〉
(『一個 秋その他』講談社文芸文庫より「刈田の畦」)
撮りためたカワセミの写真を見返してみる。なるほど紙一重であろう。アップで正面から見た顔を、愛らしいと思うか、ふてぶてしいと思うか。あなたはどう思われますか?
宮沢賢治(1896~1933)の童話「やまなし」はカニの兄弟の視点で書かれている。
兄弟が棲む谷川の底に〈青びかりのまるでぎらぎらする鉄砲弾のやうなもの〉が、いきなり飛び込んで来る。〈と思ふうちに、魚の白い腹がぎらつと光つて一ぺんひるがへり、上の方へのぼつたやうでした〉
兄弟は声も出ずぶるぶるふるえて居すくまる。そこに父さんガニが登場する。
〈「お父さん、いまをかしなものが来たよ。」/「どんなもんだ。」/「青くてね、光るんだよ。はじがこんなに黒く尖つてるの。それが来たらお魚が上へのぼつて行つたよ。」/「ふうん。しかし、そいつは鳥だよ。かはせみと云(い)ふんだ。大丈夫だ、安心しろ。おれたちにはかまはないんだから。」/「お父さん、お魚はどこへ行つたの。』/「魚かい。魚はこはい所へ行つた。」〉
(『宮沢賢治全集8』ちくま文庫)
永井、賢治に共通するカワセミは、弱肉強食・食物連鎖という摂理の象徴だ。賢治のカワセミは生態系の下位にいる魚の生死を分かつ絶対者である。他方、永井のカワセミは、絶対者である人間に、くちばしを針金で巻かれる下位の存在だ。
知人の話におけるカワセミは、自然の復元力のバロメーターである。一度は人間の手で壊された自然も、人間の意志と工夫で少しずつ、でも着実によみがえる。
長田弘(1939~2015)の詩を思う。
〈(略)「きみの だいじなものを さがしにゆこう」/すがたの見えない 声は いいました。/「きみの たいせつなものを さがしにゆこう」/「ほら、あの 水のかがやき」と その声は いいました。/声のむこうを きらきら光る/おおきな川が ゆっくりと 流れてゆきます。/「だいじなものは あの 水のかがやき」(略)〉
(『長田弘全詩集』みすず書房より「森の絵本」)
川に、水にかがやきをとりもどす――それは町の日々に、町に住む人びとの心に、だいじなもの、たいせつなものをとりもどすことでもある。
そこにはきっと棲んでいるだろう、あなたの1羽のカワセミが。
文・写真 恵村順一郎
◆次回は、来年1月20日(月)公開を予定しています。
連載「僕はパーキンソン病 恵村順一郎」が本になりました
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恵村順一郎 (著)
出版社: 小学館現役の朝日新聞記者だった筆者がパーキンソン病と診断されて以来、家族とともにどう病気と向き合ってきたかに加え、あらためて考えた朝日新聞の存在意義、この先のジャーナリズムのあり方などについても論考しています。
〈恵村順一郎さんからのメッセージ〉
病を得るのはつらいものです。でも、病気になったがゆえに見える景色もあるはずです。
この本には、現役の新聞記者だった僕がパーキンソン病になって感じたこと、考えたことを率直につづりました。
まず知っていただきたいのは、いま世界で患者数が急増中のパーキンソン病とは何か。加えて、僕が37年間、さまざまな形で体験してきたメディアとジャーナリズムの課題にも考察を広げています。ぜひ手に取ってご一読ください。
パーキンソン病は、脳の神経細胞が減少する病気です。ふるえや動作緩慢、筋肉のこわばりといった症状があり、便秘や不眠、うつなどがみられることもあります。連載では、ジャーナリスト恵村順一郎さんが、自らの病と向き合いながら、日々のくらしをつづります。
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