ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

財政の健全化

2025-01-24 09:30:20 | 経済・金融・税制

過去、幾度となく書いてきたが、同様の主張が少しずつ拡散しているのかもしれない。でも、まだ少数派であるので再び書く。

日本は借金大国であり、慢性的な財政赤字である。これ以上、子孫に負債を負担させてはいけない。だから増税により財政の健全化を図るのは正しい。

大新聞やTVで幾度となく繰り返されているのは、皆さん良くご存じだと思う。

私はこの大本営発表が大嫌い。

まず第一に嫌いなのは、「国民一人当たりの借金は1,085万円」ってやつだ。これは政府の借金を国民の数で割っただけ。あくまで政府の借財であり、しかも資産を考慮していない数字である。政府が資産を現金化して借金を返済することが第一で、それを税収でやろうとする傲慢さを感じさせる。

なお政府の資産のうち現金化が難しい土地などの不動産以外に外国債券がある。これは米国債が中心であるが、利回りは30年物で4%後半となる高利回り債券だ。一方、借財である日本国債の利回りは0.62から0.77%と低金利債権である。

保有している債権の利回りの差を考えれば、財務省が盛んに宣伝する借金である日本国債は低金利である有利な借財である。そしてその反対科目である資産としてのアメリカ国債は利回りの高い優秀な資産である。もちろんアメリカとの同盟関係の都合上、安易に売却してアメリカ国債の暴落を招くことはできないという制約はある。

では、他の資産はというと、実は公益法人等への出資額、いわゆる特別会計がある。財務省が予算編成の第一に組み込み、国会の監視の目を逃れて自由に使えるのが特別会計である。もちろん使用用途は、公益法人等の理事などに天下っている退職官僚たちへの高額な給与と退職金である。

これを処分せずして国債残高一千兆円なんて笑わせる。資産を処理してなお残る借金こそ真の借金である。倒産の実務を知っていれば当然の常識である。しかし、ご存じの通り、日本の新聞やTVは決して資産の換金後の借財なんて話題に上げない。

あくまで財務省の大本営発表を垂れ流すだけである。要するに財務省が新聞やTVを使って国民を騙してきた。それが日本経済を冷え込ませた緊縮財政の本質であり、財政の健全化という一見正論に見えて、実は問題の本質を隠す情報操作である。

もっと単純に云えば、この30年間、財政支出が大幅に足りないからこそ日本経済は冷え込んだと言える。財務省が本気で日本の財政の健全化を目指すならば、まず自らの利権である特別会計の清算から始めなければならない。

その利権を温存しようと固執したからこそ、ひたすらに増税路線を国民に押し付けてきた。今、一部で財務省の解体論が云われるのも無理ないと思います。

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文化の裏側

2025-01-23 09:19:12 | 社会・政治・一般

敢えて暴言を吐きます。

現在、スマップというジャニーズ事務所で長く活躍していたグループのリーダーとして知られていた中居氏の問題が話題になっている。たいして関心はないが、良い機会なので良識ある大人が黙り込むこの問題について少し喚きます。

歌や踊りは古来よりあったものではありますが、祭りなど一時に行わるのが通例で、それが商売の一つとして成立する過程で、必然的に権力者に媚びる必要が出てきた。金銭による上納が一般的だが、女性や美少年を権力者に供する、すなわち性接待も行われていた。

この場合の権力者とは、王であったり、宗教的指導者であったり、あるいは軍事的指導者であり、村の統治者である。文明が広がり、都市文明が確立すると芸能を職業として行うことは専門性が進み、多くの観衆を惹きつける場合もあった。

だからこそ、芸能を職とするものは、その時代、その地域の権力者との友好関係を重んじた。日本の場合だと、祭祀に絡むケースが多かったが、中世になると市井の民を顧客としえ稼ぐ芸能人が出現した。戦国時代末期に現れた出雲の阿国に代表される遊女歌舞伎がその典型であった。

これは日本だけではなく、古代から中世、近世にかけてオリエントや西欧でも似たような芸能文化があったが、日本ほど大衆化が進んだ国は珍しい。文化の大衆化が進めば進むほど、性を利用した営業交渉は広がってきたのが実態だ。

ただ必然的に風紀を乱すとして政府の規制されることも多いが、はっきり言えば、権力者からの暗黙の了解があったはずだ。露骨すぎる赤線青線よりも、歌や踊りなどショー的表書きを前面に出す一方で、裏では性接待はなくなることはなかった。なぜなら需要があったからであり、それに応じる供給が絶えることもなかった。

戦後のことだが、吉田某が捏造した「従軍慰安婦」問題にはモデルがあった。それが日本政府が新橋などに設けた米軍関係者向けの性的接待向け施設だ。それだけではない。私が知るなかには、サーカスの巡業や、歌手の公演、庶民向けの演劇興行などでも地元の有力者などへの性的接待はあった。

当然に裏社会とも関りがあるが故に、日の当たる場所で語られる話ではない。そしてこの薄暗く陰湿な伝統は、映画やTVの世界にも引き継がれていたはずだ。ただ新聞やTVが取り上げないが故に、一般的には知られていないだけだ。

勘違いされても困るが、私はこのような性接待を推奨している訳ではないし、持て囃す気もない。ただ、自ら積極的に売り込むタイプの性接待もあったことは指摘しておきたい。肉弾営業なんて言葉もあるが、実際にそれを実行に移した女性が居たのも事実だと思う。

ただし、今回のように同意を得ない性接待は良くないのは当然のことだ。そしてフジTVは、その仲介役を果たしていたことは、かなりの確率で事実だと思う。あの社長さんの会見がどうだったのかは知らないが、彼はおそらくそのような性接待で仕事上の有利な立場を勝ち得た成功者と、それを仲介した社員を守ろうとの意図はあったと思われる。

別にフジTVだけではないと思う。他の放送局でも女子アナウンサーのタレント化を推し進めていたようなところは、似たり寄ったりだと推測できる。もちろん人気のある女子アナウンサーの全てが関わったはずもなく、また大物タレントがそれを享受することを皆が容認していた訳ではあるまい。

でも、過去にも相当数あったのではないかと推測できる。ただし、それなりの地位や報酬などで被害者を納得させて黙らせてきただけではないか。そして注目すべきは、裁判に訴える等の公的な手法がほとんど取られていないことが、逆説的ながら性的接待の有無を証明していると思う。

いずれにせよ、今回の事件は非常に根が深く、既存のTV局が黙殺できるはずもなく、また自然に風化できるものでもないと予想しています。嫌な予想ですが、誰もが満足できる公正な正義はもたらされないでしょう。人間の欲は業が深く、決して根絶できるものではないと思います故に。

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役所の逆鱗

2025-01-22 09:21:50 | 社会・政治・一般

聖域を侵すことは、誰であろうと許さない。

そんなお役人様の憤りが見て取れるのが、国民民主党の玉木氏のタレント愛人報道だと思う。玉木氏は財務省出身であり、だからこそ非課税枠103万円の大幅引き上げ178万円を主張したのだろう。

私も全ての年度の歳入内訳をチェックしている訳ではないが、税務の現場に居るものとして180万円以下の納税者の負担する所得税や住民税がさほど高くないことは分かっている。むしろ配偶者の非課税枠の中で働きたいとして、労働者の活力を削ぐ側面が無視できないとさえ考えている。

実際問題、この手の相談を受ける場合、もっと働きたいと考える配偶者の方には年間180万以上稼ぐ気持ちがあるのならば103万円の枠内に拘る必要はないと説いている。税金の負担はさほど多くないが、なによりも社会保険の負担が大きい。だから150万程度では却って手取り収入が減ってしまう。180万以上稼いでようやく収支が合うのが実情だ。

この180万程度の収入だと、税金よりも社会保険の負担のほうが大きい。その意味で玉木氏の主張する178万円は理解できる。ただ役所は嫌がると思っていた。役人様は国民一人一人の手取りが増えるよりも、その増えた分を役所が管理するほうが良いと考える。いわゆる「所得の再分配」である。

極めて社会主義的な発想だと思うが、その結果が失われた30年とも云われる日本経済の長期低迷である。大企業や投資家にはそれなりに恩恵のあったアベノミクスだが、庶民の財布の中身は薄くなるばかり。その原因は政府の「所得の再分配」を最優先する姿勢にあると私は考えている。

しかし、日本の役所は自らの過ちを決して認めない。あくまで自分たちは正しいとの前提に立つ。だからこそ非課税枠の拡大には本能的に反発する。その結果が玉木氏のタレント愛人報道ではないかと思います。

愛人を抱える政治家、大企業経営者、天下り官僚は少なくない。出世志向の強い人は、公私ともに欲望が強い。もちろん家庭第一の堅物が多数派なのは事実だが、そうでない人も少なからずいるのは知る人ぞ知る事実だ。ただ大手のマスコミが報じないだけ。

では、何故に玉木氏のタレント愛人報道は騒ぎになったのか。それを考えない人は馬鹿だと思う。あのタイミングで一個人を狙い撃ちにした報道こそ、お役人が如何に国民民主党の玉木代表を嫌たかが分かろうというものだ。

もちろん証拠などない私の下種の勘繰りの可能性は否定できない。でも、あの報道に意図的なものを感じないのはおかしい。真実はどうであれ、この報道により玉木氏は代表を降りざるを得なくなった。

もう目的は果たしたからこそ、その後の追求は尻つぼみである。これこそあの報道が作為的であったことを証明するものだと思いますね。

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才能だけでは成功しない

2025-01-21 09:35:02 | 音楽

才能があるからといって、なんでも出来る訳もなく、なんでも許される訳でもない。

90年代後半に人気を博したバンドにHysteric Blueがある。リーダーはギターのナオキ、ドラムのタクヤ、そしてボーカルのTamaの三人組である。ヒット曲として「春~SPRING」や「なぜ・・・」で知られており、紅白歌合戦にも出場している。

タクヤが作曲し、伸びやかな歌声のTamaにノリが良いナオキが引っ張るバンドであった。ジュディマリのコピーなんて悪口もあったが、楽曲のパワーは本物であったと思う。本来ならばもっと活躍が出来たバンドであったと思う。

しかしリーダーのナオキに問題があった。女好きを通り越して病的な性犯罪志向者であったらしく、バンド解散後に強姦強制わいせつ罪で逮捕されている。もちろん実刑判決で刑務所を退所後にも懲りずに再犯を繰り返し、何度も報道されている。

これは私の邪推だが、おそらくバンド活動中にも相当やらかしていると思う。リーダーの暴走を他の二人は止められなかったし、プロデューサーやバンド関係者にも抑えることが出来なかったからこそバンドの解散に至ったのではないか。

そのためにHysteric BlueのCDなどは全て廃盤になっている始末である。幸いYOU-Tubeなどに動画がアップされているが、一時期は忘れられたバンド扱いであった。

バンド解散後に、タクヤとTamaは別のバンドを結成して活動しているが、成功したとは言い難い。タクヤの作詞作曲の才能はあると思うし、Tamaはボーカリストとしては屈指の歌い手であったが新しいバンドは売れなかった。

実はこの二人、若い頃から名古屋周辺で路上ライブをやっていたがなかなか目が出ず、ナオキに誘われてHysteric Blueを結成した経緯がある。人間的には問題があるナオキだが、彼の牽引力があってこそ二人の才能は活かされた。

ちなみにナオキだが、刑務所を出所後に結婚もして家庭を築いていたが、それでも悪質な女癖は治らず、再犯後の裁判で「なにが性犯罪なのか分からない」などとほざいている。彼が更生することは生涯ないと私は確信している。

そして残念ながらHysteric Blueが再結成されることも絶対にあり得ない。ある意味、悲劇的なバンドであったことを残念に思います。

 

 

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アウトサイダー フレデリック・フォーサイス

2025-01-20 15:36:58 | 

スパイ小説の紙価を高めたといって良いのがイギリスのF・フォーサイスであろう。

なんといっても「ジャッカルの日」は傑作であった。映画化もされて大ヒットしたことで原作を読んだ人も多いと思う。ただし駄作も少なくないが、それでも「オデッサ・ファイル」「戦争の犬たち」は傑作だと思っている。

そんなフォーサイスの自伝が表題の作品だ。率直に言って下手なスパイ小説よりも面白い。挫折多き半生だと思うが、その多彩な経験が後の小説家としての資質に大きく寄与していると分かる。

ただし、この自伝は注意して読まないといけないと思う。おそらく情報提供者を守るため、あるいは守秘義務に関わる部分があるため、けっこう空白の部分があることが読み取れる。私、けっこう意地になって調べたりしましたが、無理ない気もします。

特にナチスの追跡や、アフリカのビアフラ戦争に関わる部分は書けないのだと思う。それだけフォーサイスが危険な場所、人物などと関わっていた証左でもある。同時にフォーサイスの作品にむらがある原因も分かったような気がした。

面白いアイディアがあったとしても、それがこれまでの彼の人生で知り合った人に迷惑となりそうになると、そこを誤魔化さざる得なくなり、結果的にツマラナイ作品になってしまったのだろうと思う。実際、フォーサイスは諜報活動に関わることがあったようだし、かなり危ない目にも遭遇している。

その経験を活かして小説を書くにしても、どうしても書いてはいけないことも多々あったのだろう。この自伝を読むとフォーサイス自身は自らの基礎をジャーナリストであるとし、小説家を余技としているように思えてならない。

多分、これこそスパイ小説家としてのフォーサイスの美点であり、かつ限界なのだと思います。

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