自分についてだけではなく、眼の前にいる「他人」というものについても同様に、なにひとつ知っていないということが事実です。あの人は〇〇さんであり、性格はこのような人で、私は嫌いだ、などと「その人」を知っているように思っていますが、はたしてそうでしょうか。すでに繰り返し述べてきたように、私たち一人ひとりは、一人一宇宙であって、私の外に抜け出すことはできないのですから、私にとっての他人とは私の心の中の影像にしかすぎず、他人そのものを決して知ってはいないのです。憎い、嫌いというのは自分のほうから一方的に付与した思いにすぎないのです。 横山紘一『唯識の思想』 私の知人に社会が敵に見えている人(Aさん)がい…