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アフリカ小僧
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2023/12/31

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  • 「なつかしの昭和30年代図鑑」を読む

    図書館で「なつかしの昭和30年代図鑑」(いそっぷ社)を借りてきた。 雨模様の日には外出を控え、隠居部屋でこういった昭和の回想物を読むのが最高だ。 昭和30年代と言えば、小僧が幼稚園から小学校卒業までの時代だ。決して裕福な家庭に育ったわけではないが、極貧というほどでもなかった。 我が人生はだいたいが呑気だったが、とりわけ呑気だったのが、この昭和30年代だったと思う。子どもだった小僧が呑気に暮らせたのは、ひとえに両親のおかげだ。感謝したい。そんな小僧の子ども時代に、小僧の周りにあったものが借りてきた本の表紙になっている。 左上から、プラッシー、力道山、渡辺のジュースの素、だっこちゃん、魚肉ソーセー…

  • 空手家と牛肉のカキ油炒めを食す

    昨日、小僧の数少ない友人の一人、元の会社の同僚であり、小僧の空手の先生であった空手家と会食した。大雨情報が前日から飛び交っていたが、ランチなら大丈夫と判断し、決行した。 いつもの通り、町田小田急百貨店レストラン街にある銀座アスターで落ち合った。大雨の予報の影響だろう、レストラン街は混み過ぎず、丁度良いくらいの賑わいだった。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); 食したメニューは、前菜盛り合わせ、シューマイ、コーンスープ、主菜、デザート。主菜に選んだのは、海老とアボガドのふんわり玉子炒めと牛肉のカキ油炒め。二人でシェアした。 左が牛…

  • NHK「魂のピアニスト、逝くーフジコ・ヘミング その壮絶な人生ー」を見る

    本年4月に92才で逝去されたピアニストのフジコ・ヘミングの追悼番組をテレビで見た。正確には、録画しておいたものを本日見た。 彼女はショパンを愛し、演奏会でもショパンをよく弾いた。彼女は六十才過ぎての大ブレークまで、怒涛の人生を歩んできた。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); 日本人母とスウェーデン人の父を持ち、父親は日本に家族を残し、一人スウェーデンに帰ってしまう。 ピアニストだった母親から厳しくピアノの指導を受けたフジコは、中耳炎をこじらせ右耳の聴力を失う。それでも、芸大を出てドイツ留学したが、日本の国籍もスウェーデンの国籍も…

  • 初めて、音楽教室の門を叩きました

    今週のお題「最近、初めて〇〇しました」 三か月ほど前、初めて音楽教室なるものに通い始めた。楽器店が経営する教室で、ピアノのレッスンを受け始めた。 何十年も前からピアノが弾けたらいいなーと思っていたが、実行できずにいた。楽譜も読めないし、楽器に触ったこともない。どうやって、ピアノが弾けるようになるのか、想像もつかなかった。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); すべてが杞憂であった。蛇の道は蛇、その世界に通じた人に教えを請えば、上手に教えてもらえることがわかった。いい先生に付けてよかったと感じている。 子どもの頃から、初めてやること…

  • 懐かしいサザエさんの風景

    前回のお題は「懐かしいもの」だった。高齢者になるとなにもかも懐かしいので、何を書こうかとアレコレ考えているうちに締め切りが過ぎてしまったが、せっかくの機会なので書いてみる。 小僧にとっての懐かしい街の風景、人々の風景は、やはり昭和三十年代のものだろう。小僧が生まれてから小学生時代に該当する。ありがたいことに、漫画「サザエさん」がこの時代の風景をしっかり記録していてくれる。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); 原っぱ、原っぱや道路わきに置かれた土管、大工さん、植木屋さん、畳屋さん、屋台のおでん屋さん、酒屋の配達、往診するする医者、…

  • ピアノレッスン、シューベルトの子守歌

    地元の楽器店が経営する音楽教室に、ピアノを学ぶため通い始めて早いもので四か月経った。二回ほど先生が体調を崩し休講となったり、音楽教室の閉館日があったりで、レッスン回数は十三回。 これまで習った曲は以下の通りだ。 キラキラ星→喜びの歌→ジングル・ベル→家路→ロング・ロング・アゴー→ダイアナ→ フレール・ジャック→見よ、勇者は帰る→オーラ・リー (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); 九曲。そして、直近のレッスンで教えてもらったのが、十曲目となるシューベルトの「子守歌」だ。 ねーむれ ねーむれ ははの胸に ねーむれ ねーむれ ははの手に…

  • 昭和のご馳走、すき焼き

    九十才を越えて高齢者用の施設で暮らす親戚の年寄りが「肉が食べたい」と言うので、「木曽路」に連れて行った。 彼女の大好物が、木曽路のすき焼きなのだ。近所の木曽路は、コスパがいいせいか、常に混んでいる。予約もなかなか取れない。ようやく、ランチには少し遅いが、二時の予約が取れたので一同出かけた。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); すき焼きは昭和のご馳走だ。漫画「サザエさん」でも、すき焼きはご馳走として登場する。少しでも肉を多く食べようと、カツオを中心に取り合いだ。小僧の家でも同じだった。 令和の時代、すき焼きは重い食事だ。糖分、塩分…

  • ラジオ人間

    今週のお題「ラジオ」 中学生時代から毎日ラジオを聴いている。もう、六十年くらいになる。根っからの、ラジオ人間だ。 中学生、高校生の時は、TBSラジオのパックインミュージックという深夜放送を聴いていた。パーソナリティーをしていた野沢那智さんや白石冬美さんの名前は、今でも覚えている。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); 大学生や社会人になっても、ラジオを聴いていた。このころから、趣味が渋くなって、お気に入りのラジオ番組は、NHK「昼の憩い」や「日曜名作座」となった。 「昼の憩い」は今でも聴いている。冒頭に放送されるテーマ音楽が大好き…

  • 技術習得型映画の名作、Shall we ダンス?

    前号で書いた映画「スウィングガールズ」では、高校生たちが楽器演奏を習得する過程が描かれていた。自分ではサックスを吹けない高校教師の竹中直人も、生徒に隠れて音楽教室に通っていた。立派だ。 何かを必死に習得する過程を描いた映画でもう一本名作がある。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); そう、「Shall we ダンス?」だ。 まじめなサラリーマン、役所広司がダンス教室に通いはじめる。まったくの入門者が次第次第に踊れるようになる。このダンス習得の過程が実に興味深い。 この映画にも、竹中直人が出ている。役所広司と同じ会社の人間だが、偶然…

  • スウィングガールズの竹中直人

    映画「スウィングガールズ」の竹中直人が好きだ。この映画は、ご存知、田舎の高校のビッグバンドの物語。高校生たちが、ジャズの魅力に目覚め、次第に立派な演奏ができるまで成長する。 竹中直人の役は、この高校の数学の先生。こざっぱりした戸建て住宅に、ジャズのLPレコードのコレクションを持ち、オーディオでジャズを聴く。このシーンを見た人は「高校の先生もいい職業だなー」と思うに違いない。もちろん、今の高校教師はこんな呑気な暮らしはできず、問題山積かもしれないが。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); この竹中演じる教師が、高校生たちに「ジャズと…

  • 憧れのピアノやサックス、私も挑戦できる?

    と、いう見出しの記事が、5月8日水曜日の日経新聞・夕刊に載っていた。 小僧自身、2月にピアノを始めたので、もうかれこれ3か月音楽教室に通っていることになる。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); 日経新聞の記事によると、各地の音楽教室で60歳以上の在籍者数が増えているそうだ。定年前や定年後の趣味として、ピアノやサックスなどを始める人が増えているということらしい。 音楽教室に入学する際、「自分は楽譜が読めないけど大丈夫か?」と不安がる人が多いらしい。小僧も全く同じだった。 記事の中では次のように書かれていた。 「楽譜を読むのが難しい…

  • 新宿、十二社(じゅうにそう)

    子ども時代をその近くで過ごした西新宿には、十二社(じゅうにそう)と呼ばれる地域がある。前号で書いたスタジオゼロから甲州街道方面になだらかな坂道が続いているが、その右側である。 道沿いに小さな池があった。子どものころは、この池でアメンボーを見たり、もしかしたらザリガニ釣りもしたかもしれない。池の周りには料亭のようなものが建っていた。その辺一帯が、今や死語になりつつある三業地だった。芸者さんが歩いていたのも子ども心に覚えている。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); 大人たちの説明によれば、新橋など都心での遊びに飽きた人や都心で遊べな…

  • スタジオゼロ

    生まれ育った家の近くに、スタジオゼロがあった。当時は新宿区淀橋と呼ばれていたが、今の西新宿地区である。 前号で淀橋浄水場の跡地に副都心が出来たと書いたが、その一部は新宿中央公園という公園になった。公園のはずれの交差点に面したところに、熊野神社前交番がある。交番から交差点を対角線上に渡ったところにビルがあり、そこに「スタジオゼロ」があった。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); 小学生だった小僧がそのスタジオゼロを訪ねたのは、もう60年以上前になるだろうか?そこには漫画家たちがいた。今、ネットで調べると、石森章太郎、つのだじろう、藤…

  • 淀橋浄水場

    生まれ育った家は、淀橋浄水場まで歩いて十分ほどの所にあった。淀橋浄水場と言っても、知っている人は少ないだろう。ヨドバシカメラは、この地、淀橋でスタートしたので社名に「ヨドバシ」とあるのだろう。 子どもの頃、親や大人は、「淀橋浄水場は玉川上水を通ってきた水をきれいにして、東京の人たちに飲ませているんだよ」と説明してくれていた。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); 今、ネットで調べても、そのような説明がされている。明治31年(1898年)から昭和40年(1965年)まで浄水場としての役目を果たしていた。水の処理方式は「緩速ろ過」とあ…

  • 幼少期の風景: リヤカーの金魚売りと紙芝居のおじさん

    昨日のブログで、昔はリヤカーに水槽などを積み、金魚売のオジサンが来ていた事を書いた。すると、小僧のブログの数少ない若い読者の方から「リヤカーで金魚売が来ていたのですか?」とコメントを頂いた。 確かに、最近は見かけない。七十年ほど前の小僧が幼少期の頃と今では、街の風景も随分変わったと思う。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); 小僧は子供の頃、渋谷区のはずれ、新宿区や中野区と接する地域に住んでいた。小学校に上がる前は毎日、近所の通りで夕暮れまで近所の子たちと遊んでいた。家と家の間の幅五メートルほどの通りで車も通らない。 そこに初夏に…

  • 冬が終わっても焼き芋

    焼き芋は、昔、冬が終われば消えていたような気がするが、どうだろう?小僧が子どもだった七十年近く前はそうだった。小僧の地元では、冬の間、リヤカーを引いて焼き芋を売っていた男たちは、暑くなると氷や金魚を売っていた。 今は違う。行きつけのスーパーでは、五月を過ぎてもなお焼き芋を売っている。焼き芋好きの小僧にしてみれば、有難いの一言である。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); 今日も焼き芋を買った。 お店では、電気仕掛けで熱した小石の上で、焼き芋用の袋に入れて売っている 売り場で見ていると、高齢者を中心に結構な売れ行きだ。もちろん、若い…

  • トリュフォーの「大人はわかってくれない」

    五月五日は子どもの日だ。 この日にふさわしい映画を見ようと考え、思いついたのがトリュフォー監督の「大人はわかってくれない」だ。通しで全編見れば、感動しすぎてしまう。心と体に負担がかかり過ぎる。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); と、いう訳で、テレビのユーチューブに「トリュフォーの大人はわかってくれない、お願いします」と声をかけた。 結果、封切り当時の宣伝用の短い映像を見つけて視聴した。これがよかった。 1959年のフランス映画で白黒だ。経済的にも愛情にもさして恵まれない家庭の小学6年生の男子が主人公である。勉強もできないので学…

  • ストリートピアノの響き

    (タイトルはAIからの提案を参考に付けました) 連休後半に入った今日、街を歩いていたらストリートピアノに遭遇した。 食料品などを買うため、ほぼ毎日訪れている商業施設でのことだ。ピアノの音が聞こえるなと思ったら、一階のイベントスペースにピアノが置いてあった。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); 「ストリートピアノ 誰でも自由に弾けます」というようなポスターも掲示されていた。 年配の女性、若者、子どもが次から次へと弾いていく。順番待ちをしている状態だ。今日、この場所にピアノが置かれると知っていたのかもしれない。 見た目もカッコいいス…

  • トリュフォー監督と子供たちへの愛情

    今週のお題「名作」 (タイトルは、AIに付けてもらいました) 映画の名作は数あれど、小僧にとって名作の一つは、フランソワ・トリュフォー監督の「思春期」だ。 1976年封切りのフランス映画だから、もう48年も前の作品だ。当時、封切りから一、二年遅れて「テアトル新宿」で観たと記憶している。ユーチューブでトリュフォーの「思春期」の映像の断片や主題歌を見たり、聞いたりして懐かしくなった。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); この映画は、フランスの地方都市の小学校の子供たち、家族、街が描かれた名作である。名作と言っても、大上段に構えたもの…

  • 懐かしき昭和の映画:「喜びも悲しみも幾歳月」の感動

    (タイトルは、AIに付けてもらいました) 最近買い替えたテレビでは、ユーチューブが見れる。昨日は、若山彰が歌う「喜びも悲しみも幾歳月(いくとしつき)」を検索した。 すぐにヒットして、堂々たる彼の歌声が我が家に響いた。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle []).push({}); 俺(おい)ら岬の 灯台守は 妻と二人で 沖行く船の 無事を祈って 灯(ひ)をかざす 灯をかざす 作詞、作曲は木下忠司。映画「喜びも悲しみも幾歳月」の監督を務めた木下惠介の弟である。 1957年、昭和32年の映画だ。小僧はまだ小学校に上がる前だが、和式トイレにしゃがみ込んで、「おい…

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