・237年(魏暦景初1.7.?) 魏の明帝,曹叡は青州・兗州・幽州・冀州に対して船の建造を命じた。(陳寿『魏書』明帝紀) ・237年(魏暦景初1.10.21) 魏の明帝,曹叡は委粟山に円丘を造営した。(陳寿『魏書』明帝紀) ・237年(魏暦景初1.12.19) 魏の明帝,曹叡は郊祀の儀礼を行い祖父の武帝,操を祀った(陳寿『魏書』明帝紀,『通典』郊祀上,『三国会要』) ※叡は太和元年(227)の郊祀では「天子臣叡」を自称したが、景初元年の郊祀の際には「嗣皇帝」を自称したと『通典』では言及されている。彼は大極殿の造営や礼制改革に積極的であったことから、祭祀の際の自称も試行錯誤していたものと考えられ…