・701年(周暦長安1.10.辛酉) 周の則天大聖皇帝,武曌は「長安」と改元した。(『新唐書』則天武后紀) ・701年(和暦大宝1.3.21) 日本の文武天皇は「大宝」と改元した。(『続日本紀』) ・大宝1年(701) 持統上皇・刑部皇子・不比等の下で、大宝律令が完成した。(『続日本紀』) ※大宝律令は、日本において律と令の揃った最初の法典である。「大いなる、素晴らしい宝」を冠したことから、唐のような法典を持ったことに対する、貴族の感動や誇りが窺える(斎川眞『天皇がわかれば日本がわかる』)。 〔要参考〕『令集解』「公式令 詔書式条」所引の『古記』には、『大宝令』の1節として「御宇日本天皇詔旨」…