1920(大正9)年、賢治が国柱会に入信した同じ年に、石原莞爾(1889-1949)が入信しています。家出をして国柱会の門をたたいた賢治は素っ気ない応対を受けましたが、エリート軍人であった石原は厚遇されたようです。国柱会は日蓮宗の僧侶であった田中智学(1861-1939)が還俗後に、宗門を批判して作った宗教団体です。智学は日蓮の思想に国体思想を結び付け、日蓮宗に帰依した天皇が世界をその徳により支配することで平和が訪れると主張しました。現代の我々から見れば理解しがたい思想ですが、賢治や石原のみならず多くの若者の心をとらえたのです。智学は全世界を一つの家にすることを意味する「八紘一宇」という言葉を…