1970年(昭和45年)11月25日、三島由紀夫は、 「天人五衰」の最終原稿を新潮者の担当者に手渡した後、 「盾の会」のメンバー4人と共に自衛隊市ヶ谷駐屯地に乗り込み、 午前11時55分頃、本館の前に自衛隊員を招集させました。 本館の2階バルコニーに立って演説をしようとする三島由紀夫に向かって 集まった多くの自衛隊員は野次・怒号を飛ばしました。 これに対し、三島由紀夫は 「俺は4年待ったんだ。自衛隊が立ち上がる日を。・・・4年待ったんだ。」と反論しました。 怒号と野次が飛び交う中、演説を終えた後、 陸上自衛隊市谷駐屯地東部方面総監室において 「盾の会」会員1名とともに割腹自殺をしました。 自決…