NHK大河ドラマ:べらぼう葛重栄華の夢噺

~五代将軍・綱吉の治世~
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[歴史講座1限目:講師=山村竜也(歴史作家・時代考証家)]
最初に17世紀末から18世紀初頭の五代・将軍徳川綱吉の時代を概観しましょう。江戸幕府が成立して間もない頃、幕府は圧倒的な軍事力を背景に厳しい大名統制策を取り、大名家の取り潰しも辞さない「武断政治」を展開しました。
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しかし、戦国の世が終わってから50年以上過ぎた17世紀半ば、五代・将軍徳川家綱の時代になると政権は安定し、武力で大名を抑え込む必要がなくなります。一方で浪人の増加や江戸時代江戸市街の約4割が焼失した。
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明暦三年(1650)の「明暦の大火」などによって社会不安が増大します。そこで幕府は人心の安定を重んじ、武力=「武断政治」ではなく法律や秩序による統制を基本とする「文治政治」にシフトチェンジします。
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徳川五代将軍・綱吉もこの路線を受け継ぎました。学問好きだった綱吉は、儒教の精神を社会に浸透させることで幕府の権威を高めようとします。儒教の祖・孔子を祭る湯島聖堂を建て、学問所も整備し、将軍の代替わりごとに改定される「武家諸法度」でも、
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儒教の徳目である「忠」や「孝」を大事にすることを求めました。さらに、綱吉は生き物の殺傷や虐待を禁じる「生類憐れみの令」を出します。
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この法令は後世まで悪法として語り継がれましたが、近年では生き物、慈悲の心を説いた善意の法令として再評価されるようになりました「生き物を大切にする」という戦国期と明らかに違う価値観を提示した点で意義がある法令でした。しかし、違反者に対する取り締まりが行き過ぎた事で強い反発を招き、綱吉の死後「生類憐れみ令」は廃止されました。
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将軍在籍在任中の元禄15年12月に起きた赤穂浪士の討ち入りは重症的な事件でした。赤穂浪士は主君浅野内匠頭の仇を討つことで、この時代の美徳とされた「忠」を実践し、世間の圧倒的な支持を得たのです。一方で幕府の許可なく仇討ちに至ったのは、法や秩序を軽んじた「文治政治」に逆行する行為でした。幕府としては、これを見逃すことはできず。赤穂浪士全員に切腹の処分をくだしました。しかし、主君への忠義を評価し、打ち首ではなく切腹することで、赤穂浪士たちの面目を立ったのです。
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また、綱吉の時代には、上方を中心に「文禄元禄」と呼ばれ、文化が花開きました。このまでは公家や大名などの上層階級が文化の担い手でしたが、世の中が安定したことで庶民の暮らしにゆとりが生まれ、彼らが発信する文化が発展しました。

注)画像はネット上より

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記:2024年12月27日

江戸探偵人
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この記事へのコメント

江戸探偵人
2024年12月27日 06:08
NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦屋栄華乃夢噺~」を期待する声は高まっています。本屋には「べらぼう~蔦屋栄華乃夢噺~」のコーナーもあり関連本を含め売れているようです。前回の大河ドラマ「光る君へ」の視聴率は、NHK大河ドラマ「光る君へ」(総合)の全48回の期間平均視聴率が、関東地区で10.7%、関西地区で9.9%だった事が16日、ビデオリサーチの調査(速報値)で分かりました。関東は、過去最低だった2019年放送の「いだてん」の8.2%に次ぐ低さでした。様々な意見はあると思いますが、「光る君へ」は分かり難いのです。特に男性出演陣の貴族衣装が同じで、同じような顔つき、更に場所の設定なども分かりませんでした。今回のNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦屋栄華乃夢噺~」は、出演者の顔ぶれも個性があり、江戸文化の特徴もはっきりすると感じます。期待する事が大です。とりあえず当ブログでは、【歴史講座:講師=山村竜也(歴史作家・時代考証家)】をシリーズで紹介します。

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